大和 多武峰城塞群
冬野城



ファイルNo4039


                        

@ とうのみね・ふゆのじょう 
  別名  

A住所:高市郡明日香村冬野
B目標地点:波多神社
C形式:山城  D県道から比高:350m
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・土塁
G時代/人物:平安期・戦国期
     /妙楽寺(多武峰寺)勢力
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  冬野地区下から20分

J撮影・訪問時期:2024年05月

  

道案内 

西名阪道の天理インタを下り、国道169号線を南下します。約21km先の阿部の信号で左折し国道165号線に入ります。約1.6km先の薬師町の信号で右折し県道37号線に入ります。約7km先の八井内の信号を右折し県道155号線に入ります。約1.5km先に談山神社の第三駐車場があります。(談山神社は右手下りて行った先です。) さらに県道155号線を明日香村(石舞台方面)に進みます。約4.5km先、左の道に左折します。 (石舞台古墳からは県道155号線と県道15号線の交差点、石舞台古墳前の信号から東へ進み、石舞台沿いを約500m進み、Y字路を左手方向の県道155号線に入ります。約1.4km先の右手の道に右折します。)  ここからけっこう急な坂道を登って行きます。(帰りは逆に下りになるんですが、ブレーキを使いすぎるとブレーキが焼けるくらいの坂道です。) 約3km進みY字を左手に進みます。約3.5km先で冬野地区です。最後の坂を登ったところが神社ですが、神社手前にフェンスがありますので坂下に停めて徒歩で行きます。

訪城備忘録

多武峰城塞群では談山神社の南に位置し、最大級の城域を有するともされます。冬野の集落部分から神社への坂道を登ります。左手は電波塔が建っているので、遺構は若干破壊されているようです。上記に入ると、北側、西側に平坦地があり、東側が土壇のようになってます。西側(左手)平坦地に本殿があり、東側(右手)にコの字の土塁を伴う祠があって往時は櫓台であったでしょうか? この櫓台の南斜面に大きな堅堀状、南東下の郭の先に大きな堀切がありますが、この南東の尾根の先には郭等は無い感じですが、堀切は冬野城内では一番規模が大きいものです。尾根上からの眺望はこの尾根からしか見られません。

戻って、北側平坦地の先に大きいですが浅い堀切があり、その先が高い切岸で、その上が主郭になります。北側に低い土塁があり、北東側が虎口になってます。主郭下から東尾根と北尾根に段郭が連なります。主郭との切岸はこちらも高いです。東尾根の段郭群は草が延びていて判りにくいです。東端に堀切がありますが、記憶に残って無いです。^^;

北尾根は最初の二段は切岸も鋭く高いです。この先はY字に分かれてますが、右手は判りにくいです。左手段郭群はわりと明瞭です。五段ほどの段郭の先にわりと明瞭な堀切が最低二条ありました。(この先にも1条あるようですが戻りました。)

多武峰城塞群としては、念誦崛城御破裂山城に比べて堀切の規模は小さく、正直少し期待外れの感じもしました。この三つの中では念誦崛城が遺構的にはよかったかもです。

歴史
波多神社

多武峰・御破裂山城を参照ください。

南東尾根の堀切    南下斜面に堅堀
南東尾根からの眺望
坂下から神社への道     冬野地区        
  
主郭南下の切岸
主郭南下堀切
土塁がある小郭とお堂     堅堀        
南東尾根の堀切を上から
南東尾根堀切
主郭南下堀切
主郭
主郭虎口と低い土塁 
主郭から東尾根段郭
東尾根段郭の切岸 
東尾根段郭の切岸
東尾根
東尾根堀切
主郭北下郭から主郭切岸
北尾根段郭と切岸
主郭北尾根
北尾根
北尾根堀切@を尾根から
北尾根堀切@を横から
北尾根堀切A
北尾根堀切Aから落ちる堅堀
北尾根の堅堀
郭と土塁
段郭切岸
主郭西下斜面  
主郭南下堀切を西側下から
石舞台古墳

冬野城へは談山神社からではなく、石舞台側から入りました。 城へ行く前に石舞台古墳に寄ってみました。もう三十年以上ぶりかな。 記憶より,、巨石のサイズ、石室のサイズが大きくて正直びっくりしました。いずれにしても三十年前より、整備が進み奇麗な場所でした。石室のある方墳(今は土が流されて石室が露出している状態)の周囲を空堀が巡ってます。この空堀もきれいに整備されてます。

高市郡明日香村島庄 

近くの城・関連の城:念誦崛城御破裂山城