大和 多武峰城塞群
念誦崛城



ファイルNo3984


            東尾根東支尾根の大堀切と土橋            

@ とうのみね・ねずきじょう 
  別名  

A住所:桜井市西口・北山・多武峰
B目標地点:増賀上人墓・念誦崛
C形式:山城  D比高:100m(林道から) 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/妙楽寺(多武峰寺)勢力
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2023年11月

  

道案内 

西名阪道の天理インタを下り、国道169号線を南下します。約21km先の阿部の信号で左折し国道165号線に入ります。約1.6km先の薬師町の信号で右折し県道37号線に入ります。約7km先の八井内の信号を右折し県道155号線に入ります。約1.5km先に談山神社の第三駐車場があります。神社は右手下りて行った先です。

徒歩で行かれる場合は談山神社(有料)に入り、十三重塔の西側、権殿の裏手に談山、御破裂山への登り口があります。談山(かたらいやま)を経由して御破裂山まで510m(20分)と表記がありました。そこから御破裂山手前の林道に入り(約400m先)、をいったん下って、再び上った所がやや広くなっていてここで右手に薮に開口部があり、ここの下って尾根を約600mほど行くと増賀上人の墓のところです。尾根の北側の支尾根2か所に堀切があり、上人墓の北側尾根に遺構があります。

車の場合は第三駐車場からさらに県道155号線を明日香村(石舞台方面)に進みます。約400m先に右手に登る道がありますので、ここを登ります。すぐに左右に道があります。右は西門跡です。左に進みます。約250m先の右手民家の脇の路地に右折すると御破裂山への林道です。ここはさらに直進して約1km進むと増賀上人の墓の入口(標識有)のところに至ります。ここから歩道を上に行き、石段を登り切ったところが上人の墓です。墓の裏手に大堀切があり(矢竹の薮)、この北側に遺構が続きます。

訪城備忘録

妙楽寺(多武峰寺)<現談山神社>の裏山稜線に展開される三つ(岡道ー念誦崛ー御破裂山)の城塞群の真ん中の地域です。 増賀上人墓の裏手から北に延びる尾根が主尾根で、東に延びて御破裂山の林道に繋がる東尾根の東西にあるふたつの北支尾根の先に堀切遺構があります。<記述には、便宜上、主要郭をA〜C、主要堀切を@〜Cの記号を付けてます。>

上人墓の右手側の段差から北に入り、矢竹の薮を越えると南端の大堀切(@)になります。堀切内もけっこうは薮状態ですが、東側へ堅堀状に落ちていくのは肉眼ではよくわかります。幅も深さもあり、なかなかりっぱな堀切です。そこから北に登ると郭(A)です。多武峰城塞群はどうも郭は小規模、あるいは、削平をしっかりされていない半面、堀切堅堀はしっかり築かれているという印象です。郭(A)はそのなかでもわりと広いですが土塁などは無いです。浅い堀切状を越えると郭(B)です。東下に段郭状とその先に堀切状と段郭があるようですが行きませんでした。郭(B)の北側には中央の大堀切(A)があります。この堀切は大きいです。高さ、深さ、斜面の鋭さが明瞭です。また、相当に長く堅堀が東西斜面に落ちています。大堀切(A)の北側は郭(C)ですが、この東南斜面に堅堀のように一筋が大堀切(A)の東側堅堀側に落ちています。

郭(C)には東側に土塁があり、土壇のように三つあります。土壇の間は堅堀の天面のような開口部になってますが、意図がよくわからないです。郭(C)はだらだらと下がりながら北側尾根へ平坦地が繋がってます。さらに北側には砲台状の郭があり、東側に段郭にあってます。この北側郭群の先は大きく落ち込んでいて(比高で約20mほど)、下に堀底道が通ってました。この先にも郭と堀切があり、堀底道も西側に廻り込んで北へつながり、その先にも堀切があるようですが、これらは行きませんでした。

戻って、上人墓から古い墓群並ぶ東尾根へ行きます。墓地が終わって東尾根へ入り、最初のピークの北側へ下りていくとしっかりとした堀切(B)があります。戻り、さらに東尾根を進んで二つ目の大きなピークの手前で北側斜面を行く細道があり、ここを進むと土橋を伴う大堀切(C)があります。ここの大堀切は大変きれいな形をしています。さらに東尾根を進むと最後のところに少し崩れてしまった堀切があり、これを越えると御破裂山へ向かう林道にでました。

主要堀切4条は見応えがありますが、郭は小さく堀切のみが際立ちます。これは御破裂山城にも言えます。あくまで、妙楽寺(多武峰寺)<現:談山神社>を守る防衛ラインの構築で、城という名前で書いてますが、単独の城というイメージではないようです。

歴史
増賀上人墓登り口

多武峰・御破裂山城を参照ください。 念誦崛・・・よくわからんです。 念誦は心で仏に祈り、口で経文などを唱えることらしく、崛は山の高くそびえるさま、急峻のさまを表すらしいです。平安中期、増賀上人はこの地に入山され、入滅されるまでの40年間この地で隠棲されたとの事です。


主尾根の大堀切A     東尾根西支尾根堀切B
林道からの眺望
  
上人墓北側にある最初の大堀切(薮薮です)@
最初の大堀切北尾根側の郭A     Aの北側の鞍部(浅い堀切?) 
北尾根の郭B
郭Bの北側の大堀切A
大堀切Aを横(下)から 
大堀切Aの西側堅堀
大堀切A 
郭Cから大堀切Aの東堅堀側に堅堀状に落ちている斜面
大堀切Aの東堅堀
大堀切A越しに見る郭B
郭Cと土塁
郭Cの土塁、間は堅堀状に落ちる
郭Cと土塁
郭C北側尾根の東下堀切
東尾根筋北側支尾根(西)にある堀切B
東尾根筋北側支尾根(西)にある堀切B
東尾根筋北側支尾根(西)にある堀切B
東尾根筋北側支尾根(東)にある堀切に向かう東尾根からの道
東尾根筋北側支尾根(東)にある大堀切Cと土橋
東尾根筋北側支尾根(東)にある大堀切Cから落ちる東側堅堀
東尾根筋北側支尾根(東)にある大堀切Cから落ちる西側堅堀  
東尾根筋北側支尾根(東)にある大堀切Cと土橋 

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