大和 丹治城



ファイルNo4011


             南尾根二つ目の堀切           

@ たんじじょう 
  別名  

A住所:吉野郡吉野町丹治
    旧:郡町

B目標地点:丹治公民館・金竜寺
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:南北朝期/吉野城勢
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から20分

J撮影・訪問時期:2024年02月

  

道案内    ←登り口

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約10km先の玉立橋東詰めの信号を右折します。約1.2km先のひのき坂北の信号を通過し、さらに、約1.2km先の西峠の信号で直進して国道165号線を越えます。約2km先の榛原の信号で右折し国道370号線に入ります。すぐ約100m先のY字を斜め左の国道370号線を進みます。約4km先、内原の信号で左折し国道370号線を進みます。約3km先が拾生の信号で右が道の駅宇陀路大宇陀です。ここからさらに約7.5km先の三茶屋の信号で右折し県道28号線に入ります。約9km先、河原屋西の信号で右折し国道169号線に入ります。約3km先の吉野大橋北詰の信号を左折し県道35号線に入ります。吉野大橋で吉野川を渡って約200m先のT字を左折し県道39号線に入ります。約800m先の十字路を直進、県道37号線に入ります。近鉄の踏切から約100m先の十字路を右折し、約50m先の左手が丹治公民館と金龍寺です。金龍寺の山門右手に細道があり、寺沿いに細道を行き、寺の裏手に廻ります。細道を少し登ると丹治城の説明板があり、ここを右手に登ります。尾根まで細道を登り、右手にやや直登気味に登って行くと城跡です。
もし、丹治公民館前で駐車できない場合は、近鉄吉野神宮駅、東側に有料の駐車場がありますので、そこに車を停めます。

訪城備忘録

寺の裏手のコンクりート道を登るとすぐに城の説明板があります。それの右手(土の細道)を登ります。斜面がきつくなると塹壕のような道を登りますと最初の尾根です。左手に広い平坦地とその奥に高いピークがあります。城の遺構なら兵站地なんでしょうけど、違うんやろな。この右手斜面を直登します。上の尾根まで登ると西端に腰郭の平坦地あり、切岸を登ると尾根の西端の郭になる感じです。ここは地元の方が草刈し、木を植樹されていて、眺望がいいです。東側に尾根を進むとピークでここは主郭のようです。主郭の東南側の斜面を(やや急)下りていくと東南側尾根の根元に浅いですが堀切があり、さらに少し進むとふたつめの堀切があります。主郭の北下にも郭があり、先ほどの西端の腰郭と繋がっていてその中間に用途不明の大きな穴が二つありました。

歴史
説明板

元弘三年(1333年)、鎌倉幕府軍は二階堂道蘊<どううん・貞藤>を総大将とし、六万騎で護良親王が立て籠もる吉野城に押し寄せました。この幕府軍に対峙する支城として、丹治城、六田城飯貝城、一の坂塁がありました。<現地案内板より加筆>


  主郭       南尾根の主郭下の堀切
西端郭からの眺望
  
     金竜寺     最初の尾根への塹壕道
最初の尾根の平坦地と奥のピーク
最初の尾根のピークへの斜面
城域への斜面     西端下郭
主郭の西側尾根の郭 
切岸
主郭西側尾根
南尾根主郭下切岸
南尾根上の二つ目の堀切
南尾根上の二つ目の堀切
南尾根上の二つ目の堀切
南尾根堀切から主郭の斜面を見る
主郭北下の大穴二つ(用途不明)
北側郭と主郭切岸 溝状の窪みがある
六田城  4012
@ むだじょう 
  別名  

A住所:吉野郡吉野町六田
  

B目標地点:西方院牟田寺の墓地駐車場
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・
G時代/人物:南北朝期/吉野城勢
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  墓地から15分


J撮影・訪問時期:2024年02月

約3km先の吉野大橋北詰の信号を左折し県道35号線に入ります。吉野大橋で吉野川を渡って約50m先の信号を右折し県道39号線に入ります。約1km先、(途中で県道39号線に県道15号線が合流します。) 右折すると県道15号線の美吉野橋ですが、直進して県道39号線になります。ここを左折し細い道を行くと西方院牟田寺山門ですが細い道のため入るのはやめます。約100m先に左側に細い道があり、ここを左折し奥に入ると牟田寺の墓地駐車場です。

     ←墓地駐車場

墓地の西端、一番高いところにあるお墓の右側から山に入り尾根まで直登します。尾根に上がり、右手に進むとわりと明瞭な堀切があり、その先は高い切岸です。そこを登ると主郭です。その先、西側尾根に段郭らしき平坦地が幾つかありますが明瞭ではないです。また、主郭の北下のもわりと大きな郭があります。

鎌倉末期〜南北朝初期は吉野城の支城であったようです。

東端堀切
東端堀切
主郭      西段郭切岸
主郭北下郭
吉野川 六田の渡し付近の日暮れ

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