大和 芳野城



ファイルNo3161

宇陀三将の城 2022年、登城道など整備されました

                    中間の堀切

@ ほうのじょう 
  別名:東郷城  

A住所:宇陀市菟田野区下芳野〜東郷
    旧:宇陀郡菟田野町

B目標地点:桜葉神社
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・碑・説明板
G時代/人物:室町期/芳野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から20分

J撮影・訪問時期:2016年10月・2022年08月

  

道案内   ←登り口

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約10km先の玉立橋東詰めの信号を右折します。約1.2km先のひのき坂北の信号を通過し、さらに、約1.2km先の西峠の信号で直進して国道165号線を越えます。約2km先の榛原の信号で右折し国道370号線に入ります。すぐ約100m先のY字を斜め左の国道370号線を進みます。約4km先、内原の信号で左折し国道370号線を進みます。約3km先が拾生の信号で右が道の駅宇陀路大宇陀です。拾生の信号で左折し国道166号線に入ります。約6.5km先、新松井橋で左折し県道31号線に入ります。芳野川沿いに約1km先、県道が大きく右カーブします。(カーブが終わったところで右折し橋を渡り、約200m先左手山裾に桜葉神社があります。) 桜葉神社へ右折の所からさらに県道を約600m進むと橋がありこれに右折します。約200mほど進んだ右手に新しくできた登城口と説明板があります。(手前に駐車場もあります。)

 
訪城備忘録

ルートとしては道案内で書きました登城口からわりとゆるやかなつづら道を登って行くと展望尾根(展望台と城址碑があります)ここから北側が城域です。桜葉神社の本殿横にも説明板があり、その上に獣除けフェンスのゲートがあり、ここを越えて木の階段を中腹までありますが、その先は無いです。中腹から先は直登になります。

南東麓の登城道順に説明します。展望尾根から先に大きな堀切があります。これを越えると南の郭です。南端に分厚い土塁がある長方形の郭で削平もしっかりしています。北側にも土壇状に盛り上がり通路が絞られています。櫓台と南郭の虎口です。その先尾根上を少し進みます。途中に浅い堀切状があり、その先には再び大きな堀切です。これを越えて尾根を少し行くと主郭です。以前は藪だった主郭ですが、2022年は中央部は伐採もされ見通しが効くようになってます。ここから北の尾根ヘ進みます。主要部を越えると中規模の堀切があります。主要部との切岸が立ってます。また少し尾根を進むと両サイドに土塁の高まりのある虎口があります、虎口前にも平坦地があります。この虎口郭の下、大きな段差の下にも堀切になってて、西側斜面に大きな竪堀が見えます。この北支尾根を下りて行き、途中で右手へ行くと桜葉神社に至ります。

前回は直登、藪漕ぎ、帰りは変なところを降りてしまい、芳野川沿いを横移動してなんとか戻ったという難易度が高かったですが、整備され気軽に来られる城跡になりました。感謝です。

登城口
歴史

築城時期は定かではないですが、南北朝の頃、宇陀三将のひとりの芳野氏の本城として築かれたようです。宇陀三将は当初は興福寺の荘官であったようですが、伊勢北畠氏の勢力が宇陀まで伸び、これに臣従し、北畠氏から秋山氏、沢氏、芳野氏は、「宇陀三将」と呼ばれるようになったようです。その後、北畠氏〜織田信雄〜筒井順慶に従った後、伊勢松ケ島城の蒲生氏郷の寄力となっていたようですが、氏郷の会津転封には従わなかったようで、その後の消息は不明のようです。

南端の大堀切
  
現地説明板の簡単な縄張図
城跡遠望
桜葉神社側説明板と階段(階段は途中で無くなります。)
芳野川の梅花藻
  
展望尾根下      展望尾根と城址碑
展望尾根
眺望
眺望
展望台    展望台から
南端大堀切
南端大堀切
南端大堀切
南端大堀切(整備前)
南の郭の南端土塁
南の郭
南の郭の北側土壇と虎口通路(以前の訪城時)
尾根上の小さい堀切
主郭南側大堀切
主郭南側大堀切
  主郭       整備前の主郭
主郭東下急斜面にある段郭状平坦地  (以前の訪城時)   主郭下から
主郭(主要部)北側の堀切
主郭(主要部)北側の堀切の主郭側切岸
北尾根端虎口
北尾根端虎口
北尾根端虎口下堀切
北尾根端虎口下北支尾根

近くの城・関連の城:宇陀松山城(秋山城) 沢城