大和 芳野城



ファイルNo3161

宇陀三将の城 登城には難はあり直登を余儀なくされたけど、遺構としては堀切がいい

                    南東の中間の堀切

@ ほうのじょう 
  別名:東郷城  

A住所:宇陀市菟田野区下芳野〜東郷
    旧:宇陀郡菟田野町

B目標地点:桜葉神社
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀
G時代/人物:室町期/芳野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から20分

J撮影・訪問時期:2016年10月

  

道案内 

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。16km先榛原区中心部のY字を直進して榛原中心部に入ります。1km先の荻原の信号で斜め左方向の国道370号線に入ります。300m先榛原ロータリの信号で右折し、200m先の榛原駅前の信号から6.4km先、内原の信号で左折します。国道370号・166号共用線を進みます。2.8km先の信号で左折し、大宇陀高校前を通過し、宇陀道の駅の前、拾生の信号で左折し国道166号線に入ります。約6.5km先、新松井橋で左折し県道31号線に入ります。芳野川沿いに約1km先、県道が大きく右カーブします。カーブが終わったところで右折し橋を渡り、200m先左手山裾に桜葉神社があります。

訪城備忘録

城跡のある山の周囲には獣除けのフェンスが張り巡らされ容易に山に入れません。また、明確な登城道もないようです。最後に右折した地点からさらに300mほど先に小さな橋が有、ここにフェンス扉があります。きのこ栽培をされている箇所で、右手を廻って斜面を直登しましたが、竹藪、倒木、急斜面で難儀します。 (後で分かったんですが、麓の北東側麓の堤状の台地の上にある墓地から山に入り斜面を登る方がよさそうです。 このルートは墓地のある堤そのものも遺構の可能性もあり、斜面の木々には白ペンキで印があるように見えました。) 比高100mを必死になりながら登ります。途中、中腹には段郭のような平坦地もあります。登りきると主郭でした。主郭も竹藪、倒木で荒れています。残念な城に登ってしまったかと思いながら、まずは北側の尾根に向かいました。細長い主郭部分を進むとニンマリとする明瞭な堀切がありました。堀切の斜面には土止めの石積みかもしれんと思う石列もありました。堀切を越えると段郭が四段ほどあります。藪も少なく見やすいです。尾根先端の段郭の斜め右斜面の木にところどころ白ペンキで印があります。ここを下りると墓地の所にでるようです。(墓地背後から尾根先端郭までの比高は70mほど)西側斜面にも白ペンキの印のある木があります。これがどこに下りるのか確認できません。) 尾根先端から戻り南側に進みました。荒れている主郭を越えるとこの城一番の見所と思う大堀切があります。堀切底と主郭の尾根の公差は10mほどあるようです。この大堀切を越えると土橋に見える箇所があり、東側が竪堀のように窪んでいます。ここは南の郭の虎口のようです。この先は中間の櫓台と思わせる盛り上がり、細長い郭、先端に土塁状の尾根の横断している櫓台があります。 南の郭も藪が少なく見やすいです。尾根先端下にも竪堀があるようです。帰りは北の斜面を下りるべきでしたが、主郭南下の大堀切から東側におりました。急斜面の尾根ですが、藪が無く下り易かったんですが、麓は湿地、また、川が迫っていて、麓を横移動できない箇所でまた難儀しました。しかし、城としては典型的連郭式の山城で面白かったです。

城跡遠望
歴史

築城時期は定かではないですが、南北朝の頃、宇陀三将のひとりの芳野氏の本城として築かれたようです。宇陀三将は当初は興福寺の荘官であったようですが、伊勢北畠氏の勢力が宇陀まで伸び、これに臣従し、北畠氏から秋山氏、沢氏、芳野氏は、「宇陀三将」と呼ばれるようになったようです。その後、北畠氏〜織田信雄〜筒井順慶に従った後、伊勢松ケ島城の蒲生氏郷の寄力となっていたようですが、氏郷の会津転封には従わなかったようで、その後の消息は不明のようです。

北西の堀切          南西の郭と土塁状櫓台
  
主郭東下急斜面にある段郭状平坦地   主郭下から              
主郭
北側堀切を上から
北側堀切を横から     堀切から主郭方向
北側段郭と虎口      北側段郭先端
主郭南側大堀切を上から
   大堀切         大堀切から主郭切岸
虎口部と思われる箇所
南の郭(先端は土塁、手前右も盛り上がり)
左手盛り上げり、先は虎口部

近くの城・関連の城:宇陀松山城(秋山城) 沢城