道案内 ←登り口 ←城跡 |
名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。16km先榛原区中心部のY字を直進して榛原中心部に入ります。1km先の荻原の信号で斜め左方向の国道370号線に入ります。300m先榛原ロータリの信号で右折し、200m先の榛原駅前の信号で左折し県道31号線に入ります。100m先の信号で県道は右折です。県道は500m先の信号で左折し榛原大橋を渡ります。6.5km先、比布地区のバス停そばで左折します。2kmほど進むと道路沿いに沢城の標識が立っていますので左折します。標識に従い農場横まで行くと登り口があります。
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訪城備忘録 |
城跡までの山道は先日の台風の影響もあるのか荒れていました。ぬかるんだり、道に水が流れていたり、小規模な土砂崩れがあったりでした。出郭下まで登ると説明板があります。出郭に登ると最初はやや藪ですが、奥に明瞭なU字の土塁が残っています。出郭の下には二重の堀切が残ります。この城の見学可能はここまでです。主郭を含む主要部はすごい藪でとても見学はできない状態でした。
2016年12月
沢城には行ってないんですが、居館跡とされる沢下城に城址碑と説明板があるので、寄ってみました。
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出郭の登り口
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南北朝期に築城された沢氏の居城とされます。沢氏は南朝方としてこの地方に勢力を競いました。永禄三年(1560年)に松永氏に攻められ落城し、城には松永氏方の高山友照(飛騨守・図書)が入りました。永禄十一年(1568年)頃に高山氏は和田惟政に属し、さらに、元亀四年(1573年)に高山氏は高槻城の城主になっています。高山氏が沢城を離れてから沢氏が復帰していましたが、天正四年(1576年)頃には筒井氏に攻められ没落し、天正八年(1580年)の織田信長の破却令によって廃城になったようです。高山友照は高山右近(重友)の父であり、右近は天文二十一年(1552年)生まれであり、幼少期にこの城におり、洗礼を受けたと伝わります。
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