大和 | 送迎山城 |
ファイルNo3073 |
開発破壊されながら残る遺構には一見の価値ありか
@ ひるめやまじょう |
道案内 | |||
西名阪道の香芝インタから国道168号線を北に約1.2km先の王寺ニュータウン入口の信号を左折、道なりに明神4丁目公園まで行き、公園前の信号を左折、すぐを右折、200m先で住宅団地を抜け、山道を2.1km先が明神山山頂で、そこから南へ直線距離で400mほど行ったところが城域の下のコンクリート道です。あるいは、近鉄関屋駅から西名阪道のガードをくぐり、関屋北の住宅団地の一番奥まで行き、つぶれたゴルフ場の管理道をコンクリート道の終点まで行くと城跡です。 |
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訪城備忘録 | |||
城域は昭和50年台のゴルフ場工事で相当に破壊されているようです。しかし現地を見ると、西側の郭とその東を巡る土塁、その東の空堀、東北の竪堀、東側の堀の痕跡と土橋風地形が見られます。北西端は大きな堀切状地形があり、これは二重堀切です。さらに北側には平坦地とその先の斜面には大きな二条の竪堀があります。これは資料では障子堀とされてます。 |
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築城時期、築城者は不明のようです。ただ、興福寺一乗院方の国人であり、片岡氏の初期本拠地と考えられるようです。 麓の滝不動院は元の雲門寺であり、片岡氏との関係は深いようです。 片山氏は応仁の乱を挟んで筒井氏から越智氏に主従関係を変えたようで、明応二年(1493年)頃が全盛期だったようです。明応七年(1498年)に畠山尚順に攻められ衰退したようです。永正二年(1505年)には筒井氏に従い復活していたようで、この頃、本拠を雲門寺周辺から片岡城に移したようです。 片岡氏の前期本拠は雲門寺周辺というだけで城跡が特定されておらず、この送迎山城がその可能性があるとの事です。【出典:近畿の城郭より】 |
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