大和 | 古市城 古市高山城・藤原城 |
ファイルNo3045 |
@ ふるいちじょう |
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西名阪道の天理インタを下りて国道169号線を奈良公園に向かって北上します。約3.5km先の下山町の信号を右折し県道188号線に入ります。約2.5km先の右手が東市小です。 |
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訪城備忘録 | |||
古市城本丸は小学校敷地で遺構はなく、グランドの南西側にフェンスに囲まれたところに城址碑があります。南側に池があり、堀跡と言われるようです。古市城の谷間を挟んで南側に古市高山城があり、竹林ですがここには堀切状の地形があります。さらに南側、藤原町に出城と言える藤原城がありますが、薮で入れません。 |
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古市氏の本城です。古市氏の出目は定かでは無いようですが、鎌倉末期から南北朝期に古市城の名と古市氏の名が文献に現れているようです。室町期では興福寺大乗院の有力宗徒でありました。応仁の乱終息後の古市澄胤の時が全盛期と言われるようです。筒井氏対越智氏・古市氏の対立が深まり、明応六年(1497年)に筒井氏に攻められ落城しました。明応八年(1499年)に古市氏は城に復帰しますが、永正元年(1504年)に再び落城、永正五年(1508年)に澄胤が討死し、後を公胤が継ぎました。永正十七年(1520年)、古市公胤が鉢伏山城に拠って筒井氏に対抗したとされるようです。大永元年(1521年)に再び筒井順興と対立し、鉢伏山城は落城し、大平尾城で最後の抵抗をしますが、翌年には古市氏は没落したようです。 |