大和 宇陀本郷城
本郷東城



ファイルNo2235

          堀切   

@ ほんごうじょう 
  別名 

A住所:宇陀市大宇陀区本郷
    旧:宇陀郡大宇陀町

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:70m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/松永氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道から比高30m・5分
J撮影・訪問時期:2009年08月・2020年03月

  

道案内 ←登り口 ←城跡 ←麓登り口

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約10km先の玉立橋東詰めの信号を右折します。約1.2km先のひのき坂北の信号を通過し、さらに、約1.2km先の西峠の信号で直進して国道165号線を越えます。約2km先の榛原の信号で右折し国道370号線に入ります。すぐ約100m先のY字を斜め左の国道370号線を進みます。約4km先、内原の信号で左折し国道370号線を進みます。(約3km先が拾生の信号で右が道の駅宇陀路大宇陀です。) 約2.8km先の信号で左折し、宇陀高校大宇陀学舎前を通過します。400m先を信号を右折し、すぐのY字は斜め左に進みます。約1.6km先、又兵衛桜の手前を右折します。坂道を約600m登りますと左右の尾根上の道に出ます。左折した尾根道を300mほど進んた右手上に墓地があり、この墓地を抜けて上に登るとすぐに城域に入ります。(尾根上の道で左折は本郷城ですが、右折してすぐのところに「倭姫命祭祀跡」の説明板がありますが、この奥が本郷東城です。)

訪城備忘録

関西の滝桜、通称:又兵衛桜の道を挟んで反対側の山上にある城跡です。墓地の一番上のところからさらに登るとすぐに城域です。城域の両サイドに竪堀状に大きな堀があります。その両堀に挟まれる空間にだん段郭、主郭があります。主郭の背後には大きさ堀切、その先にもうひとつ小さな堀切があります。平坦地が作りにくい急斜面に無理やり竪堀状に堀を作り、その間に郭を数段作ったという感じですが、陣城だとやや狭いかもとは思いますが、墓地のところとその周囲を兵站地と考えれば有ですかね。本郷東城は「倭姫命祭祀跡」という史蹟です。説明板によれば、「倭姫命が崇神天皇の命で天照大神の御鎮座地を探してここをいったん宮処と定めましたが、御神託が無かったため、また東に旅をされ、伊勢の五十鈴川のほとりでお告げがあり、伊勢神宮をお建てになった」とあります。 ここに祭祀跡周囲に段郭、堀切があります。また、尾根を下りて行くと大きな空堀が尾根に沿った状態でありますが、これは城の遺構と言うより村と村を繋いだ古道に見えます。

宇陀の滝桜は別名「又兵衛桜」と呼んでいます。その由来は、大坂の陣で討死したとされる後藤又兵衛が紀州を経てここに逃れて隠れ住んだとされます。 薬師寺には墓もあり餡巣。なお、大分県中津市(耶馬渓)にも後藤又兵衛の墓というのもあります。ここに隠匿したとの伝説もあるようです。

主郭
歴史

築城時期・築城者は定かではないようです。宇陀松山城以前の秋山氏の城と言う説と永禄三年(1560年)、松永久秀が宇陀を攻めた際の陣城という説があるようです。

竪堀状の堀 
     城跡遠望(手前の山)
城跡近くから又兵衛桜を遠望
  
竪堀状堀
段郭と横堀
堀切@
堀切@
堀切@からの竪堀    堀切A
堀切@
堀切@
竪堀状堀
城域からの眺望
城跡近くの集落の桜
又兵衛桜
又兵衛桜
又兵衛桜と宇陀松山城
又兵衛桜と宇陀松山城
本郷東城   3645
説明板の横の道     倭姫命祭祀跡(郭)
堀切
段郭から堀切・向こうの郭
主郭     段郭
尾根下の大きな横堀状(峠道?)

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