紀伊 | 根来寺 |
ファイルNo2024 |
@ ねごろじ |
道案内 | |||
京奈和自動車道路の岩出根来インタを下ります。料金所先の信号を右折し県道63号線に入ります。約400m先の岩出根来IC南の信号(自動車道路の下)で左折します。約1.4km先の左手に駐車場があり、その奥が根来寺です。 大門にはインタから来た道を約100mほど戻り左折します。約500m先右手が大門です。大門の前には駐車場があり、大門前の道をさらに約100mほど行くと道は川に沿って右手に進みますが、この曲がり角に川に小さな橋があり、これを渡り、斜め上にへの道を登っていくと前山城塞群に至ります。 |
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訪城備忘録 | |||
城郭寺院とはいっても城郭的な痕跡はお寺にはありません。ただ、大塔には羽柴(豊臣)秀吉が根来寺を攻めた際の火縄銃の弾痕が残っています。 少し離れた大門は江戸末期に再建された二重門で和歌山県では金剛峯寺と根来寺にしかないそうです。防備の支城である前山城塞群には堀切など遺構が残っています。、2022年は夕方、(2008年は社員研修旅行だったのでNG^^;)であったため、チャレンジできていません。2022年12月に登ってみました。これは別個別城跡備忘録/前山城塞群で紹介します。 |
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現在の根来寺は高野山から保延六年(1140年)に豊福寺に移転した時からと言えます。根来寺という名称は元久二年(1205年)までには成立したようです。国宝の大塔は天文十六年(1547年)に完成しています。 戦国期、根来衆は強力な勢力を持ち(寺領72万石であったいうらしいです)、戦国大名並みであったため、天正十三年(1585年)、紀州攻めを行った羽柴(豊臣)秀吉に攻められ、全山焼失しますが、大塔、大師堂、大伝法堂は焼失しませんでしたが、大伝法堂は解体されました。江戸期に入り、紀州徳川家の庇護の元、文政十年(1827年)、大伝法堂は再建され、嘉永五年(1852年)に大門が再建されています。 |