丹波/ 金山城



ファイルNo2897

小さいながら石垣の城・明智光秀が黒井城と八上城の連携を分断するために築いた城

             主郭下石垣

@ きんざんじょう 
  別名 

A住所:篠山市追入
B目標地点:追入神社
C形式:山城  D比高:290m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/明智氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2014年07月・2021年06月
         (2014年09月)

  

道案内   ←登城口  ←登山用駐車場

舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口のシンターで下り、丹南篠山口インタ前の信号を右折し県道94号線に入ります。750m先の味間新の信号で右折し国道176号線に入ります。13km先、鐘ケ坂トンネル手前の追入の信号で左折します。80m先正面が追入神社でこの前のT字を左に少し行くと右手に登城口があります。 車で行かれた場合は集落の北側端に金山登山用の駐車場が設置されてます。
 
訪城備忘録

登城口は追入神社横と大乗寺からも登れますが、大乗寺側の林道は土砂崩れもあり荒れているようです。 追入神社横から登ると500mほど登ると獣除けのゲートを越えます。そこからで主郭まで1000mと表記があります。 後400mの標識を過ぎたところ、主要部下に広い平坦地と寺院跡(園林寺跡)があります。<寺は江戸末期に創建されたもので明治末期には尼寺であったようです。> 本堂跡脇からもう少し登ると主要部の虎口に至ります。土塁の虎口を抜けると細長い郭になり馬場跡とされます。馬場から二手に分かれますが、右手主郭に登って行きます。主郭は大きく二段に分かれ一段高い奥の郭の南側と西側に規模の大きな石垣が残ります。主郭から北側のスロ−プ状の虎口にも石垣が残ります。主郭からの眺望は抜群です。スロープ状の虎口から下りて行くと鬼のかけ橋と呼ばれる奇岩があります。ここから下を覗くと麓に国道が見え、まさしく絶壁の上です。主郭からの眺望は360°ですね。北側に黒井城も見えます。 <眺望と鬼の架け橋>のページも作りました。(笑)

2021年06月再訪
2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」の影響で木々が相当に伐採され石垣がすごく映えてます。また、主郭部の東下の尾根も伐採され、岩が至る所に露出はありますが尾根が相当幅があり、二段の大きな郭に見えます。多くの兵を収容するには充分な広さです。東端の南側に枡形状の虎口のような地形もありました。これは後世なんでしょうか?それとも自然地形か? 前回訪城時は主郭周辺だけの小さな城の認識で、そのわりに馬場がへんに立派なんでこれはただの尾根かなとも思ったりしましたが、城域はもっと大きな範囲だということなんでしょうかね。

さらに、最近、Web地図っていろいろな城跡がプロットされてますが、金山城の「南曲輪」、「二の曲輪」という表記があります。「南曲輪」は園林寺跡から西に進みます。この道は山の中腹をぐるっと廻って北東の鐘ケ坂公園に続く道のようです。寺跡から少し行くと鞍部に至り登山道は右に進みますが、正面に古い墓地があります。この右手の急坂を登って行くと「南曲輪です。この急坂、塹壕のようになっていて、「一部の縄張図」では竪堀、横の土塁状を登り土塁と表記されているようです。郭手前は坂虎口のようになってます。郭内は薮化してますが、以前はなにか利用されていたようで、古いアンテナも建ってます。ですから坂虎口も遺構かは?です。西側斜面に抜けると堀切状の地形があります。不完全ですが砦・出丸のような城郭遺構だと言われればそんな感じはします。「二の曲輪」は先ほどの鞍部から右手へ登山道を下りて行きます。谷筋を進みます。途中、「鬼の落とし岩」という表記のところを越えて少し行くと、鬼の架け橋まで650mの標識と周囲の説明地図が木に張り付けてありました。ここから斜面の急坂を登って行くと「鬼の架け橋」へ行けます。(行きました(笑) 登って行くと馬場から鬼の架け橋への道に合流します。この右斜面に「一部の縄張図」では金山城主郭西端下から登り土塁がこの道のところまであるように表記されてます。) 谷筋の説明板のところからもう少し下って行くと左手、谷筋の向こうに比高で50mほどのピークが見えます。これが「二の曲輪」の感じです。道ないですし、斜面は急、おまけに薮のためあえなく断念しました。二の曲輪は見ていませんが、「南曲輪」も「二の曲輪」も金山城とは尾根も違い完全に独立しています。「二の曲輪」は主郭から見ると西南方向になるため、二の曲輪は西砦、南曲輪は南砦と言った方がしっくりしますね。
登り口の説明板
歴史

天正六年(1578年)明智光秀が築城したとされます。 天正三年(1575年)、織田信長に丹波攻略を命ぜられた明智光秀は黒井城を包囲しますが、天正四年(1576年)に八上城の波多野秀治が離反し挟み撃ちにあって大敗しました。天正五年(1577年)に再び丹波に攻め込んだ光秀は矢上城を包囲しますがなかなか落ちず、天正六年に波多野氏と黒井氏との連絡を絶つためにこの城を築城しました。天正八年には黒井城、八上城も落城しますが、金山城は存続しました。天正十年(1582年)、明智光秀が織田信長を本能寺で自害に追い込んだ後、山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗死した後に廃城になったと考えられます。

金山城の眺望と鬼の架け橋のページへ
主郭西下石垣
鬼の架け橋
地図院地図(加筆)
2014年
主要部虎口
馬場     主郭
南下石垣
虎口石垣         西下石垣
中腹の寺院跡園林寺)と平坦地
2021年
主郭の西端斜面<石垣痕跡>
主郭虎口
主郭虎口残存石垣
主郭虎口横残存石垣
主郭
主郭
主郭と眺望
主郭南側石垣(西端)
主郭南側石垣
主郭南側石垣
主郭南側石垣
主郭南側斜面を下から見上げる
主郭下東尾根
主郭下東尾根
主郭下東尾根端    虎口形状
二の郭・南の郭
園林寺跡<この写真で左手に進みます>
急坂の登り<南の郭> 堅堀のような作りで、ある縄張図では竪堀・登り土塁と表現
南の郭の坂虎口?     南の郭の郭内
南の郭西斜面堀切形状
南の郭西斜面堀切形状
鬼の落とし岩  谷筋の道     標識
二の郭方向を見上げる

近くの城・関連の城:黒井城 八上城