丹波/ | 八上城 |
ファイルNo1601 |
波多野氏の本城 明智光秀との戦いに敗れる
@ やがみじょう |
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【道案内】 ←春日神社の位置 舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道306号線に左折し篠山市中心部に進みます。約5Km先の糯ケ坪の信号で斜め右へ県道77号線に入ります。1.4Km先の八上下の信号で左折し国道372号線に入ります。約150m先を右折し(八上内の信号の50m手前)クランク状態で集落裏手に進むと右手山すそに春日神社があります。 (あるいは京都方面より京都縦貫自動車道の亀岡インタで下り、国道372号線を湯の花温泉経由で進みインタから27Km先が八上です。さらには京都縦貫自動車道の園部インタで下り、国道477号線で西に進み、途中で国道372号線に合流します。この国道372号線はデカンショ街道というらしい。小野新という信号から7Km先、日置東の信号付近から2.2Km先が八木です。) 【訪城備忘録】 国道沿いにイラスト付きの高城山案内板があります。ここのそばの路地を入り、クランク状に集落の裏手の山すそ沿いの道を進むと右手に春日神社があります。鳥居のそばトイレの空き地に車を止めて登ります。登り始めるとすぐに前田主膳屋敷跡があります。ここは慶長期の前田茂勝の居館跡です。この背後の高台は波多野氏時代の屋敷跡があったようですが、比高で100mぐらい登ると鴻ノ巣砦、そこから下の茶屋丸・上の茶屋丸と郭がありますがどこも藪状態で土塁も堀切らしいものも確認できませんでした。山頂が近づきてきますと急に石積みの痕跡が見え、右衛門丸のところでは三の丸(郭)斜面の明瞭な石垣が見れます。右衛門丸は城主居館跡らしいですが郭内は藪だらけ^^;(明智氏時代の居館かな)この辺より主要部で三の丸(郭)、二の丸(郭)、本丸(主郭)と登っていきます。本丸周囲は思った以上に石垣が残っていて、うれしくなりましたが明智時代のものではなく、その後の前田氏より松平氏が改修したもののようです。本丸から南東側に下りていきますと蔵屋敷跡という案内板があり、ここは土塁が巡っていたようです。その後、池東番所の案内板から下りると堀切の箇所(大竪堀と表示があります)があり、両サイドに竪堀が落ちています。右手に下りて行くと朝路池、反対側の尾根に堀切、池西番所(郭)などが残ります。この二つは結構明瞭です。大竪堀に戻り、東の尾根を進むとはりつけ松跡(光秀の母が磔された場所)〜長駈場〜芥丸の尾根道を通って藤之木坂道で下りてきました。 2019年09月に2020年大河ドラマの影響でしょうけど、主郭周囲の木々が伐採され、麓に20台くらいの駐車場が新たにできています。2019年12月に登ってみました。本丸(主郭)中心の主要部(本丸(主郭)・岡田丸・二の丸(郭)・三の丸(郭)・右衛門丸・涼御殿)が伐採され、眺望が開けています。本丸(主郭)から右衛門丸までの段差が見事です。この日、予測もしてなかった篠山盆地の雲海を見ることもできました。また、岡田丸直下の堀切・土橋も見ましたが、ここまでの斜面は本当に急斜面でこの土橋はどこにつながっているのか想像もできない感じです。伐採されると郭の広さ、段郭となる右衛門丸から二の丸(郭)までのするどい切岸の高さを見ていると戦国の城跡がそこにありました。 【歴史】 八上城は高城山山頂を主郭と山全体が城郭と雄大規模な城郭です。石見国の土豪であった波多野清秀は管領細川政元から応仁の乱(1467〜77年)の戦功により多紀郡を与えられて、八上の蕪谷に奥谷城(蕪丸)を築城し本拠地としました。その頃、高城山山頂にも見張りの砦程度はあったと考えられますが、永正五年(1508年)に波多野元清が本格的に城を築いたとされます。その後、波多野元秀の時に三好長慶・松永久秀の攻撃を受け弘治三年(1557年)に城を松永氏に奪われて松永宗勝が城主となりました。永禄九年(1566年)に波多野晴通・秀治が奪還しました。天正三年(1575年)の明智光秀の丹波攻めには当初は味方したが翌年には離反し荻野氏と協力し光秀を撃退しました。しかしながら、天正七年(1579年)に落城し、波多野秀治らは安土城にて殺されました。これに対して波多野氏の人質であった明智光秀の母が磔になったという伝承があります。波多野氏滅亡後、光秀は明智右衛門光忠を城代とし、明智氏滅亡後は丹波亀山城の支城となり、羽柴氏あるいは前田玄以の支城として存続しました。慶長七年(1602年)に玄以の子の前田茂勝が五万石として八上城城主となりました。茂勝は慶長十三年(1608年)に改易され、松平康重が入封し篠山城に移ったため廃城となりました。 |
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