但馬 / | 法道寺城 |
ファイルNo2784 |
織豊系の縄張りの土の城が明瞭に残ります
@ ほうどうじじょう |
道案内 | |||
国道2号線姫路バイパスの姫路ジャクションから播但連絡道で80Km先(あるいは山陽自動車道の山陽姫路東インタより播但連絡道で70Km先、中国自動車道福崎インタより同連絡道で55Km先)の和田山インタを下り、国道312号線を北に進みます。約3km先の一本塚の信号で左折し国道9号線に入ります。約7lm先、法道寺の信号を左折し県道527号線に入ります。約600m先、橋の手前で右折し法道寺集落に入ります。右折した角に城の案内標識と説明板があります。500m先右手に法道寺に行く坂道がありますので、それを登り、本堂の右手方向に駐車場と登城者の休憩所があります。この裏手から墓地を抜けて山道に入ります。 |
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訪城備忘録 | |||
法道寺の境内の駐車場は登城者に開放されています。寺の背後の山が城跡です。獣避けの防護柵扉を抜け登城道を進みます。道筋にはお地蔵様が並んでいます。山の頂部に達すると二の郭です。主意を低い土塁が残ります。 二の郭と主郭の間には明瞭に堀切が残り竪堀に落ちています。主郭はL字で二の郭側はやや低い土塁ですが、奥の土塁は大変高い土塁が巡り、櫓があったのかもしれません。ここに立つと船の船底にいるような気持ちです。大土塁の先には高い切岸の下に浅い堀切が残ります。 主郭の外側の帯郭を巡ると船の船体を見てる感じです。二の郭下の支尾根の先端まで道があり、往時には出丸があったのかも知れません。 主郭の土塁は見応え有です。 |
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城の歴史の詳細は不明のようです。築城は鎌倉時代の藤原氏とされるようです。天正八年(1580)〜十三年(1585年)頃に現在の形に改修されたものと考えられ、竹田城の支城であったようで、近くの岡城の詰め城であったようです。 |
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