播磨/ 置塩城



ファイルNo1552

後期赤松氏の本城

     大石垣

@おきしおじょう・おじおじょう・おしおじょう
  別名 藤丸城 小塩城 

A住所:姫路市夢前町宮置
    旧:飾磨郡夢前町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:300m 
E現況:山林

F遺構等:・堀切・竪堀・石垣・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/赤松氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登り口から40分
J撮影・訪問時期:2000年06月・2014年03月

  

道案内 ←登り口   ←城跡

中国自動車道福崎インタを下り、県道23号線を西に進みます。約10km先の前之庄西の信号で左折し県道67号線に入ります。約11km先、宮置のバス停付近で左折し、県道80号線に入ります。500m先で夢前川を渡り、川を渡ったらすぐに左折し川沿いの道を進みます。約1km先の右手に登り口があり、その前に駐車場があります。
 
訪城備忘録

2002年から12年ぶりに訪城しました。12年前も城跡までの道はきついと感じましたが、今回も相当にしんどかったです。比高300mは軟弱者にはきついです。(苦笑) さて、城跡ですが、夢前川沿い運動場前にある置塩城の碑から喘ぎながら登城道を登ります。登城道には二丁〜十八丁までの石碑が立っており、目安になる半面、挫ける要素にも・・・(笑) 18丁が茶室郭下で、この前の南郭群から城域と言う事になります。 播磨、但馬の城の多くは山上でも郭が広く、居住性を感じるのですが、ここの城も同様に南郭群から広い郭を有します。 南郭は大きな2段の郭を中心とし、その段差は5m以上あります。斜面には石垣の痕跡も残ります。南郭群の上、十八丁の碑のあるところの郭は茶室跡の標識があり、斜面、碑のところに石垣が残ります。ここも広い郭です。 南西郭との分岐点には最近立てられた縄張り図があります。 南西郭側に下りるとここも二段の大きな郭を中心とし、大石垣と標記される規模の大きな石垣が残ります。上の段には石が散乱しており、往時は石垣作りであったと想像します。戻り、登城道には南西郭の上、二の郭の下に当たるところにも石垣が残ります。ここを越えると馬場と言われる箇所に至ります。右手の高所は二の郭、左手は三の郭になります。 二の郭には土塁、石垣を伴う虎口、建物礎石かと思われる石が残る副郭など、大きな三段の郭で構成されています。三の郭は城内で一番広いかもしれません。 200m一周のグランドが作れるかもしれん。その西下にも同規模の郭も残り、その段差は5m以上あります。 

三の郭の南西側下段郭方向が大手道と言われていますが、今は消滅しているようです。二の郭と三の郭の間の通路にも石垣の痕跡が残ります。ここを抜けると左手の郭は台所郭と言われ、三の郭下の郭に下りていける通路があります。この通路も崩れた石垣の石が散乱しています。台所郭の北側の高台は二の郭北郭群といわれます。ここはよこに長い大きな郭が2段あり、段差がない分土塁で遮蔽されていました。二の郭北郭群を抜けると主郭下に至ります。斜面には大きな岩を伴う石垣が残り、主郭下の所々に石垣が残ります。また、主郭までの道は石段の階段だったようです。 この主郭は砲台状の尾根の頂にありますが、周囲の郭は小さく、主郭北側は主郭下の小郭があり、その先は急な斜面ですが、比高40mほど下りたところに小さな堀切しかありませんでした。詰めの郭という意味では主郭なんでしょうけど、主要部は二の郭・三の郭周囲でありますな。2002年に来たころは草木も多い頃でしたし、整備もさほどであったでしょうし、自分も城巡りを始めてまだ数年の時期であったので、この城の印象は草木に埋もれた古城のイメージしかなく、こんな広い郭を有する巨大な城と言う感覚には薄いものでしたが、今回の再訪は赤松氏本城の大きさを実感しました。石垣がところどころにしか残っていないのは、天正八年(1580年)の秀吉の命による城割と姫路城への石垣転用のせいのようですが、確かに、こんな大きな城を国人がもってたら秀吉も危なくってしょうがなかったでしょう。

登り口の碑と説明板
歴史

文明元年(1469年)に赤松政則が築城したされます。赤松氏は嘉吉の乱(1441年)にいったん没落しましが、この嘉吉の乱の中心人物である赤松満祐の弟の義雅の孫である政則によって長禄の乱での功績で赤松氏を再興し、応仁の乱の時に播磨・備前・美作の守護に復帰しています。置塩城は後期赤松氏の本城であり、初代の政則から 義村ー晴政ー義祐ー則房と5代続きます。4代義祐の頃には浦上氏、宇喜多氏の台頭で所領は播磨の三郡程度にまで縮小していました。 5代則房は天正五年(1577年)には織田信長方の羽柴秀吉に従い、天正八年(1580年)に秀吉の命で廃城となりました。 則房は天正一三年(1585年)に阿波に移封されました。

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馬場から右手二の郭、左手三の郭         主郭下石垣       
現地説明板より      南西郭からの眺望
中央の尾根は番城山城 主郭からの眺望  主郭北側眺望
2000年撮影
大石垣           茶室郭石垣
二の郭下         主郭下石垣

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