備前 | 常山城 |
ファイルNo1518 |
鶴姫以下女軍玉砕の城
@ つねやまじょう |
道案内 | |||
瀬戸中央自動車道の水島インタを下り、県道62号線を北上します。約5.6km先、新稔橋の信号で右折し県道22号線に入ります。約8km先の信号で県道は左折ですが逆に右折します。約400m先でJR宇野線おを越え、すぐの十字路を左折します。約1.2km先で「常山城登城口」の標識のところで右折します。約800m先に妙見堂があり、ここから徒歩の登山口があります。車はここから1車線の山道を約5.6km登りますと山上駐車場です。 |
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訪城備忘録 | |||
2003年に初訪城の際はもう日没で石垣などは見る事はできましたが写真は撮れませんでした。2016年に再訪しましたが、2012年以前の土砂崩れで車道が崩落して車では登ることができませんで、断念しました。2019年、車道が復旧したという情報があり再訪しました。 車道で山頂鞍部の駐車場まで登ります。1車線の道ですから対応車とのすれ違いは場所を探さななくてはならず相当にきついでしょうけど。城跡は駐車場から本丸までの北側の郭群、本丸から東尾根への東側の郭群になります。ひとつひとつの郭はわりと大きな郭です。長い間車道が通行止めになってせいでしょうか、郭は草木が生い茂ります。本丸の南下の兵庫丸で、この本丸側面に石垣が残っています。また、それ以外にも大石が転がっていますので、往時は主郭下周囲の多くが石垣であった感じです。この石垣は毛利、宇喜多氏時代の改修のようです。相当に石垣が欠けているのは池田氏が下津井城を築城の際に石材として持ち出したためのようです。兵庫丸下にも石垣が残るようですが、藪がきつそうであきらめました。駐車場東下は徒歩の登城道ですが、ここに底無し井戸と呼ばれる井戸が残ります。以前は井戸に屋根が付けられていたようですが、今は崩れてしまっていました。全体を見ようにも藪が多く動き回れないのが残念ですね。 |
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築城時期は定かでは無いものの、文明年間(1469〜87年)に上野氏が築城したとされます。上野隆徳は三村家親の娘(鶴姫)を娶り、三村氏と姻戚関係を結んでいました。天正三年(1575年)、毛利氏、宇喜多氏の連合軍は、備中松山城の三村元親(家親の子、鶴姫の兄)を攻めて元親を自刀に追い込んで三村氏を滅亡させた後、常山城を包囲しました。この時に鶴姫以下34名の侍女が一団となって敵に立ち向かったとされます。少人数の上野勢であり、隆徳、鶴姫は自刀し、上野氏は滅亡しました。以後、宇喜多氏の城となり、戸田秀安が城主として入りました。関ケ原の戦いで宇喜多氏が改易されると小早川秀秋が入封し、この城には伊岐真利が入りました。、慶長八年(1603年)に小早川氏が改易され、池田忠継が入封すると廃城となりました。 |
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