相模 | 衣笠城 |
ファイルNo2146 |
@ きぬがさじょう |
道案内 | |||
横浜横須賀道路の衣笠インタを下り、衣笠城址前の信号を左折し、すぐの太田和街道入口の信号を左折します。50m先の路地を斜め右に入り、450m先の右手高台が大善寺です。この裏山が城跡です。 |
|||
訪城備忘録 | |||
城跡の行き方は案内通りが楽ですが、この日の訪城は三浦縦貫道路の入口付近から山越えで城跡に行きました。周囲はただの山で遺構らしきものも無く、城跡も主郭と思われるところの背後が堀切っぽいですが定かではなく、郭も公園になっていて(公園といっても草むらみたいな感じですが)遺構らしきものは判別できません。やたらと城址碑が立ってますが・・・。大善寺も往時は城の一部であったようです。 護衛艦いずも・戦艦三笠 護衛艦ひゅうが 護衛艦かが |
|||
|
平安後期の前九年の役で功があった平為通が源頼義から三浦の地を賜り三浦氏を名乗ったものです。康平五年(1062年)にこの城を築城しました。源頼朝の挙兵には四代の三浦義明は頼朝に従いますが、城はいったんは落城し、義明は討死しました。義明の嫡男が義宗は若くに没し、(その息子は(和田)義盛) 三浦氏は義明の次男の義澄が家督を継ぎました。鎌倉幕府が成立後に再び三浦氏の本拠地となりました。義澄の後は子の義村で、義村、その子の泰村、光村らは宝治元年(1247年)の宝治の戦いで執権北条氏(時頼)に破れ、一族のほとんどが滅亡し、衣笠城も廃城になったようです。三浦氏は義明の十男の(佐原)義連の子の盛時が三浦氏を再興し新井城を本拠としたようです。 |
護衛艦いずも 戦艦三笠 |
佐原城 3807 |
怒田城 3808 |
@ ぬたじょう 別名 沼田城 A住所:横須賀市吉井1丁目 B目標地点: C形式:丘城 D比高:20m E現況:公園 F遺構等:郭・堀・説明板 G時代/人物:平安期/三浦氏 H満足度: 凸+ I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間: 5分 J撮影・訪問時期:2022年04月 |
|
築城時期、築城者は不明ですが平安末期には存在したようで、三浦氏の本拠の衣笠城の支城であったとされます。 |
近くの城・関連の城: