摂津 | 野間城 | ![]() |
ファイルNo1826 |
多田源氏系野間氏の本城・主郭背後の大堀切が圧巻
@ のまじょう |
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道案内 ![]() ![]() |
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京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を能瀬方面に進みます。約13km先、妙見口の信号で右折し府道4号線に入ります。約1.4km先の野間峠をつづれ折れの道で越えます。京都府から大阪府に入ってから約3km先が野間中の信号で、ここを左折し、旧国道477号線に入ります。約300m先の左カーブの先で大原川を渡り、すぐの野間川の橋を渡ってすぐ左に入ります。(野間川手間を左折すると約100m先が円珠寺です。) 川の寺とは対岸側に産業廃棄物処理工場があり、その裏手に山に向かう道がありますので、ここに右折し進み約300m先の山すそのため池下まで行きます。左手高台が野間館です。この背後から山道が続いていて、(元々は稲荷社の参道で左から右へ廻り込む感じで進みます。) 城山まで途中つづらの道を登ると城跡です。<野間館手前でいったん左の細道に入り、約200m先で右手に登ると野間館で、その先を登ったところに登城道があります。> 車で最後のため池下までの坂道は登らないで、川沿い、あるいは、寺付近に駐車された方がいいです。 |
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訪城備忘録 | |||
17年ぶりに再訪してみました。前回も同じ1月でしたが、その時は積雪のある日でしたが、今回はわりと晴れている日に訪城しました。 前回に比べ、登城道は相当に荒れていました。主郭櫓台の祠の建物も無くなってました。地元の方と話をしたら、最近、山には人が入っていないとの事でした。 最近、能勢町でクマが出たそうです。 冬眠をしていない熊が徘徊している危険性が能勢あたりでもあるという事です。 テレビでの専門家の発言は、「熊は冬眠が習性ではなく、冬場エサが無いので冬眠するが、エサがあるなら冬眠はしない」と言ってました。また、「親子熊で親熊がなんらなの理由で小熊と離れ離れになり、小熊が親熊から冬眠や人の脅威を教わらないまま育ってしまい、冬場でも冬眠しないで、エサを求めて里に下りてくる」との見解があるようです。 麓にある野間館は以前は藪状態でしたが、今回はやや見渡せました。登城道入り口には赤い鳥居があるんですが、材質は塩ビのパイプを使ってました^^; 道を登って行くと、道沿い左側に水が湧いている箇所があります。これは井戸跡らしいけどなんともという感じです。ここからつづら折れの道になり(以前に比べ倒木などで相当に荒れてました。)、登って行くと下段の郭に到達します。 城域は主郭を中心にV字に段郭があります。左方向の尾根筋に登るとその先には尾根上の段郭が二段あり、さらに先には二の郭にあたる大きな郭に至ります。主郭はこの上で、二の郭との切岸は5mほどで、いまだシャープな切岸です。二の郭から主郭への坂は端にスロープ状の土塁があります。主郭は三方を土塁が巡り、中央に稲荷社がある(祠は今は無くなってました。)ところが南側の土塁は分厚く、一段と高くなっていて、櫓台と思われます。主郭背後は大きくて明瞭な堀切が残ります。この先には竪堀、さらに小型の堀切が連続してあり二重堀切で、堀切間には短い竪堀も確認できます。尾根としてこの城域端の堀切から先はまだ高いんです。大堀切は鞍部か谷部を加工してここまで深くしたのかもしれないですが、城域端の先はまだ高いのは防御と言う意味ではどうなんだろ。 これらで城域の尾根筋側を防御となっています。この城はひとつづつの郭が大きくて、詰城なんでしょうが、居住性を感じる広さのある城でした。 |
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仁安三年(1168年)に源満仲に始まる多田源氏の子孫の野間高頼が築いたとされます。野間氏は能勢氏・余野氏とともに能瀬三惣領と言われ、天正年間(1573〜92年)には野間豊後守資持が居城したと伝わります。 |
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