摂津/ 野間館
野間屋敷



ファイルNo1825


               館の虎口と土塁  

@ のまやかた 
  別名 

A住所:豊能郡能勢町野間中
B目標地点:円珠寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:館:雑木林 屋敷:水田・宅地・果樹園

F遺構等:郭・堀・土塁+碑・石垣?
G時代/人物:戦国期/野間氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  円珠寺から10分

J撮影・訪問時期:2008年01月

  

道案内 

京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を能瀬方面に進みます。13km先、妙見口の信号で右折し府道4号線に入ります。1.4km先の野間峠をつづれ折れの道で越えます。京都府から大阪府に入ってから3km先が野間中の信号で、ここを左折し、国道477号線に入ります。300m先の右カーブ(野間川の橋を渡ってすぐ)で左に入る道があり、ここに左折します。100m先が円珠寺です。円珠寺はふたつの川に挟まれた土地にあります。寺から川沿いを東に50m行くと橋があり、これを渡り、右手へ戻る感じで30mほど進むと山に向かう道がありますので、ここに左折し進みます。山すそまで来ると左手高台が野間館です。
野間屋敷は円珠寺の横(東側)の水田から北側一帯が屋敷跡と言われます。
 
訪城備忘録

☆野間館
野間城の麓にある居館跡です。円珠寺から山に西の向かって進んで麓まで行き左手高台に上がります。土塁に囲まれた池があり、堀跡にも見えますが後世の溜池なんでしょうな^^; 池を越え、池に隣接した東側が館です。館内は藪状態ですが、この時期はなんとか中に入って行けました。館北側を低い土塁が巡り、東側には虎口と思われる開放部がありました。館背後(南側・山側)は大きな土塁となっていて、この先は空堀が横たわっています。堀も藪状態ですがけっこう深いものです。館の南西隅には石が散乱していて、庭園跡とのことです。

☆野間屋敷
資料では円珠寺の道を挟んで東側の水田となってましたが、別の資料を見るとこの水田の北側の水田・宅地から北東にある高台になっている果樹園?栗畑周辺ということになっています。果樹園の周囲は石垣で、この中に「野間氏発祥の地」の碑もありましたし、屋敷の雰囲気もありましたので、こっちの方が正解でしょ。

館背後の土塁
歴史

仁安三年(1168年)に源満仲に始まる多田源氏の子孫の野間高頼が築いたとされます。野間氏は能勢氏・余野氏とともに能瀬三惣領と言われ、天正年間(1573〜92年)には野間豊後守資持が居城したと伝わります。野間館は戦国期までの野間城と一体化した居館、野間屋敷は野間氏が江戸期に居住した屋敷跡とされます。

   館内土塁        堀跡?(たぶん後世の溜池^^;;)
 庭園跡        館背後の空堀
  
   野間屋敷辺り      「野間氏発祥の地」の碑

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