摂津/ | 大坂城 | ![]() |
ファイルNo1532 |
大阪市民の城 大坂城。天守は模擬ではあっても風格さえ感じる。
@ おおさかじょう |
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![]() 【道案内】 名神高速道吹田インタで下り、近畿道で東大阪JCTまで行き、阪神高速13号東大阪線で6Km先の森之宮ランプあるいは法円坂ランプで下りた北側です。 大坂城は電車のほうが便利かもしれませんね。JR大阪駅から環状線で大阪城公園駅で降りて大坂城ホールを越え、青屋門、極楽橋を越えて天守です。あるいは、地下鉄谷町線で谷町四丁目駅を下りて2番出口、18番出口を出て東に進むと大手門付近に致します。 ![]() 【訪城備忘録】 上町台地の先端にある大坂城です。現在の城跡は豊臣秀吉の大坂城を覆うように土盛され築城された徳川氏の城ですね。近世三代名城のひとつというべきか、石垣は壮大であり、高さ、精巧さ、巨大さなど圧倒されます。天守は模擬ではありますが、風格を感じるくらいです。また、大手門、千貫櫓、一番櫓、六番櫓、乾櫓などが現存しています。また、天下普請の城ですので、石垣に無数の刻紋(刻印)が刻まれた石を見ることができます。さらに、発掘調査などで豊臣期の石垣が地中より発掘されています。(現在、大阪と書きますが、城は大坂城と表記致しました。) 滋賀県の琵琶湖にある竹生島、ここにある唐門などが2020年春に修復完了しました。この唐門は豊臣大坂城から京都の豊国廟に移され、さらに竹生島宝巌寺に移されたとされていました。今回の修復作業の中でこの説はほぼ確定したようで、豊臣大坂城の建物遺構と言えるものです。唐門などは豊臣大坂城の極楽橋にあったものとされます。 2022年01月に二度訪城し、二度に分けて現在の大阪城公園の堀端をほぼ一周してみました。 2023年03月 大阪歴史博物館から大坂城を遠望してみました。 2023年05月 大手門から本丸経由で青屋門へ抜ける定番コースで。 2023年08月 青屋門から入り、本丸には入らず、内堀の北側を廻って見ました。 【歴史】 大坂城のある場所は 明応五年(1496年)に本願寺蓮如が大坂御坊を建て、天文二年(1533年)に、本願寺が山科より移り、石山本願寺として一向宗の本拠地となった場所です。この石山本願寺も寺と言いながら城そのもの(寺院城郭)であったようです。元亀元年(1570年)以降は織田信長と対立し、十年以上にわたり争い、天正八年(1590年)に和議となり本願寺は紀州に去り、この時に石山本願寺は炎上して廃墟となりました。天正十一年(1583年)に信長の後継となった豊臣秀吉はこの地に大坂城を築きました。天守は天正十三年(1585年)に完成したとされます。その後拡張が続きましたが、慶長三年(1598年)に秀吉が亡くなり、慶長五年(1600年)の関が原の戦いを経て、慶長八年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍に就き、二年後の慶長十年(1605年)に秀忠が二代将軍となり、徳川家の天下が固められます。その間、大坂城は、秀吉の遺児の秀頼、その母の淀君の居城でしたが、慶長十九年(1614年)の大坂冬の陣で徳川氏は大坂城を攻め、翌年の慶長二十年(1615年)に再び攻め、大坂城は炎上し、秀頼、淀君は自害し、豊臣氏は大坂城とともに滅亡しました。その後、松平忠明が大坂城主となりますが、大きな再建築城はされなかったようです。元和五年(1619年)に忠明は大和郡山に転封となり、大坂は徳川直轄地となり、大坂城には城代が置かれ、初代には内藤信正が就きました。元和六年(1620年)に徳川氏は豊臣氏の大坂城を消し去るように徳川氏の大坂城の築城を開始しました。徳川の天守は寛永三年(1626年)に完成したとされます。天守は寛文五年(1665年)に落雷で焼失し、その後は再建されませんでした。大坂城は徳川時代を通じて直轄地で城代管理の城として明治維新まで続きました。昭和に入り、昭和六年に徳川氏の天守台の上に、豊臣氏の天守を模したコンクリート製の天守が建てられ現在まで続いています。 |
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竹生島 |
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