山城/ 山科本願寺



ファイルNo1547

               山科中央公園の土塁  

@ やましなほんがんじ
  別名 

A住所:京都市山科区西野阿芸沢町+西野山階町 
B目標地点:山科中央公園・山科郵便局・山科団地 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園 

F遺構等:土塁 
G時代/人物:室町期/蓮如
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2006年08月・2023年06月

  
蓮如上人生誕地・西宗寺

【道案内】 

名神高速道路京都東インタを下り、国道1号線を五条方面に進みます。1.6Km先が東野の信号、その500m先で右折し、400m先右手が山科中央公園で、周辺が山科団地です。この一帯が山科本願寺です。
  



【訪城備忘録】

中央公園の北端に高さ5mほどでL字に土塁が残り、今は一段下がった広場になっていますが、堀跡も残っています。公園の西側奥に西宗寺があり、この南東にも土塁が残っているようですが、こちらは見に行きませんでした。中央公園の土塁は想像以上に大きいとい印象です。


  
【歴史】

文明十年(1478年)から蓮如によって着手され、順次拡張されました。文明十五年(1583年)頃には土塁・堀を巡らした寺内町が完成したとされます。天文元年(1532年)、細川晴元は一向宗を排除するため、近江の六角定頼らに援軍を頼み、山科本願寺を攻撃し焼き討ちしました。 本願寺は摂津石山に移り、山科本願寺は晴元によって、土塁を切り崩し、堀を埋め立てられたと伝えられます。

   
蓮如上人御廟所

  
  
現地案内板
  
旧案内板より
  
山科中央公園の土塁 右の低地は堀跡
山科中央公園の土塁 左の低地は堀跡
山科中央公園の土塁 グランド側
醍醐寺 伏見区醍醐東大路町 
西大門(仁王門)
金堂(国宝)
清瀧宮本殿(重文)   清瀧宮拝殿
五重塔(国宝)
五重塔(国宝)
観音堂(西国三十三ケ所十一番札所)
三宝院大玄関(重文)
正面/表書院(国宝)
葵の間・秋草の間・勅使の間/(重文)
庭園
手前/表書院(国宝) 奥/純浄観(重文)
純浄観(重文)
唐門(国宝) /三宝院内から
唐門(外から)/伏見城からの移築と伝わります

近くの城・関連の城: