丹波/ | 篠山城 |
ファイルNo1573 |
天下普請の巨大な平城
@ ささやまじょう |
道案内 | |||
舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道94号線に左折し篠山市中心部に進みます。4Km先の尾根川北詰の信号で左折します。500m先で川を渡り、県道77号線との交差点、南新町の信号を直進します。550m先で左折し三の丸駐車場を利用します。 京都方面から 京都方面より京都縦貫自動車道の亀岡インタで下り、国道372号線を湯の花温泉経由で進みインタから29Km先の信号で斜め右へ入り県道77号線を進みます。1.7Km先の京口橋で川を渡ったところの信号を左折、700m先の南新町の信号を右折です。さらには京都縦貫自動車道の園部インタで下り、国道477号線で西に進み、途中で国道372号線に合流します。この国道372号線はデカンショ街道というらしいです。 |
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訪城備忘録 | |||
複雑な縄張りの城では無く、大きな方形の威風堂々とした石垣の城です。所謂、聚楽第型縄張りでしょうかね。本丸、二の丸を巡る内堀、三の丸の外を巡る外堀の水堀の広さ、主要部の石垣は非常に高く、また、表門側二の丸北面石垣、表門から大書院までの石垣、二の丸南面埋め門外側などに刻紋(刻印)が多くあります。これらは、江戸期初期の天下普請の城の証なんでしょうな。 二の丸・本丸を巡る石垣はそそり立つように垂直で高いものです。 北面石垣は、犬走があり、表門が飛び出した区域を作り、鉄門まで二度の折れを有します。西面石垣は南西端の櫓台まで一直線の高い石垣、南面石垣は、中央に二の丸埋め門、東端に天守台があります。外堀の南側に土の馬出し、北側に馬出痕跡、東側に全国的にめずらしい石垣の角馬出しも残ります。本丸は現在青山神社があり、天守台石垣が残ります。ただ、往時は天守は建てられませんでした。二の丸には木造で再建された二の丸大書院が建っています。また、市内には武家屋敷なども残り、散策によい町です。 篠山市栗栖野地区には3ケ所の残念石(石垣で切り出されたが使わなかった石)が置いてある場所があります。石には刻紋を多く見ることができます。 |
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徳川家康は大坂豊臣氏・西国大名の押さえとして、慶長十四年(1609年)に子の松平康重を常陸笠間より移封し、天下普請で篠山城の築城を命じました。池田輝政・藤堂高虎が縄張りを担当し、十五ケ国、二十の大名が築城にあたりました。以後、元和五年(1619年)に松平康重は岸和田に移封となり、藤井松平信吉が高崎より入封しました。藤井松平氏が二代、形原松平氏が五代続き、寛延元年(1748年)に丹波亀山より青山忠朝が入封して、青山氏の六代の居城として明治を迎えました。 |
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二の丸大書院 |
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馬出し |
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