山城 太閤堤



ファイルNo3823

現在見る石垣はレプリカながら雰囲気は良いです
                太閤堤 石打ち部分            

① たいこうつつみ 
  別名  

②住所:宇治市莵道丸山
    

③目標地点:お茶と宇治の町歴史公園
      ・莵道稚郎皇子の墓

④形式:ーー  ⑤比高:ーーm 
⑥現況:公園

⑦遺構等:復元石垣
⑧時代/人物:戦国期/豊臣氏
⑨満足度: 番外・凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

⑪撮影・訪問時期:2007年09月・2022年06月
           (2015年03月)

  

道案内 

府道7号線で南下してきて莵道谷下りの信号を右折します。(左折は三室戸寺方面) 約200m先で京阪宇治線の三室戸駅の横を越えます。約200m先で道が左へクランク状になり、抜けたところを左折するとすぐが太閤堤の公園で奥へ進むとお茶と宇治の町歴史公園です。

訪城備忘録

2007年の発掘当時と2015年の整備中に寄りましたが、公園として整備された以後に寄ってなかったので改めて行ってみました。現在はお茶と宇治の町歴史公園として整備され、南側は長い堤、北側は芝生公園と一部石垣が見られますが、実際の遺構は地下2mに埋没保存され、今見るものは発掘調査のデータ(石の大きさ・形状、配置)をできるだけ忠実に再現・復元され整備されたものです。堤の石垣は丁寧に復元されています。公園側の石打ち(川の流れの勢いを止めて堤の崩壊を防ぐ役割の飛び出した石垣)も当時の石打ちが埋没保存されています。見た目が綺麗でなかなかいい公園です。

歴史
石碑



文禄元年(1592年)指月伏見城の築城を開始し文禄三年(1594年)に完成させた豊臣秀吉は、巨椋池と宇治川の分離、宇治川の流れを変更し伏見城下を通るような大規模な治水工事を行いました。この時の石積みの堤が太閤堤です。完成してわりと早くに宇治川が運んでくる土砂に埋もれたため、その当時の姿が残ったとされます。指月伏見城は慶長元年(1596年)に地震で倒壊したためあらたに木幡伏見城が築城され、慶長二年(1597年)に完成しました。


公園側の太閤堤
  
堤の石垣は石の大きさや配置を調査結果から丁寧に復元されています
2007年09月発掘調査時点 1枚目写真とほぼ同じ位置
2022年06月
2007年当時
2022年06月
石打ち部分 2022年06月
茶畑側の石打ち
2015年03月 整備中
朝日山城 3825  

京都府宇治市紅斉(朝日山 朝日山観音)
遺構:郭?
宇治興聖寺の裏山の朝日山が城跡とされますが現在は朝日山観音があり、周囲は平坦地がありますが、城と言う雰囲気もありません。ここから宇治、大阪方面の眺望が良いです。 平坦部には莵道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ 古墳時代の皇族)の墓がありますが、太閤堤のそばにも墳墓があります。さらに、なぜか鍋島信濃守勝重(勝茂)の後室の高徳院の五輪塔がありました。 勝茂は鍋島直茂の子で佐賀藩藩主。鍋島氏の菩提寺は東京港区の麻布賢崇寺であり、高徳院(菊姫)の墓もこちらにあるとの事ですが。麻布賢崇寺って佐賀藩藩主やその妻、佐賀藩関係者の墓が多いようですが、ムッシュかまやつさんや川島なお美さんのお墓もあるようです。って関係なかった。^^;
【道案内】 府道7号線の莵道谷下りの信号を三室戸寺方面に入ります。約300m先のY字を斜め右に進みます。約500m先の明星町のメイン道路に右折します。約400m先(明星町2丁目バス停付近)で右折します。約50m先、右前が公園の所で右折しさらに約50m先でまた右折します。約50m先のY字を斜め左に入ります。約100m先が明星町の端になります。ここで正面に鎖の張った道が山に向かってます。関西電力宇治発電所となってました。発電所前を過ぎるとちいさな橋がありこれを渡ります。山へ入ると中腹に道があり左方向に進みます。発電所の裏手を進む感じです。少し行くと右手に仏徳山と朝日山の間の鞍部の道がありここに入り、約100mほどで左手へ朝日山観音に登る道がありますのでここを進み山頂まで行きます。
【歴史】 詳細不明

朝日山からの眺望(麓の水辺は宇治川)
朝日山城(朝日山観音)
朝日山と仏徳山の間の鞍部       朝日山側斜面
三室戸寺 2014/06
本堂
三重塔
三室戸寺の紫陽花
三室戸寺の紫陽花
三室戸寺の紫陽花(💛の形)
三室戸寺の紫陽花  
三室戸寺の紫陽花

近くの城・関連の城:指月伏見城 木幡伏見城