丹波 数掛山城



ファイルNo2947

亀岡市内では相当に険しい城跡・明瞭な堀切土橋が見所

                            堀切と土橋
@ かずかけやまじょう 
  別名 本梅城 

A住所:亀岡市本梅町西加舎
B目標地点:
C形式:山城  D比高:350m 
E現況:山林
F遺構等:郭・堀切・土橋
G時代/人物:戦国期/波多野氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道ゲート口からショートカットで60分

J撮影・訪問時期:2015年02月

  

道案内  ←林道ゲート    ←城跡

亀岡市内より国道372号線で湯の花温泉に向かいます。湯の花温泉を越えて3kmほぼ先の宮前の信号で左折し国道477号線に入ります。4.2km先、本梅小学校の先、本梅の信号を右折し府道731号線に入ります。700m先右手加舎神社前で右折します。200m先のT字で右折します。集落を抜けると林道への道です。右折から900mほどで林道のゲートですが、周囲に車が止められませんので、車の場合は考えて駐車してください。  ゲートを入ってしばらく歩くと右手にため池が見え、その向こうにも数掛山が見えます。小さな川を越えると林道は大きく右にカーブして登ります。50mほどのところから左に入ります。入ってすぐに左手斜面を登って行きます。斜面を登りきると石積みが斜面にあり、登ると古い林道で右手に登ります。すぐに左手へわりと新しい林道を登ります。大きく逆Vに林道は進みますが、そのVを行かずまっすぐ50mほど行っ右手んい入ると石垣がたくさん残る箇所があります。寺跡のようで、半面山へと向かう道があり、標識もあります。この半面山への道(寺の左手)ではなく、寺跡の右手から斜面を登ります。まるで石垣竪堀のような石積みのある水路の脇を登っていきます。登りきるとまた林道にでます。出たところに赤い目印のある木があり、右手から登ります。道といえるかという筋を登って行きます。途中、ピンクリボンがくくってある杭状の木があるところで右手に進み、また斜面を登って行きます。途中途中に赤い標識杭やピンクのリボンが木にくくってあったりします。相当登る大きな平場に出ます。真ん中に石積みされた水源(井戸)があり、城の水の手であったかも知れません。井戸から右手に行き、すぐに左手斜面を登ります。箇所箇所にピンクのリボンが木にくくってありました。登りきると、一騎駆けの土橋のような尾根になり、ここを右手に進むと城跡です。

最後の赤い目印のある木から直登する箇所までは林道でこれるようですが、相当に距離がありようです。ショートカットで登る道順は文章では上記の通りに説明しましたが、写真での案内を別ページで作りました。参考にしてください。
また、出雲神社の裏手からの道も林道になって山の途中まで行けるようですが、今回何回か横切った林道との関係は不明です。
道案内ページへ
なお、地図で観ると数掛山城から滝ケ嶺城までが尾根でつながっているように見えますが、尾根上は藪化しており、進めないようです。両城とも麓からアタック必要です。

訪城備忘録

過去に何度か登り口を探しましたが、わからずじまいでした。今回はオフ会でご案内していただきました。 林道で最後の直登地点まで行けるようですが、時間短縮でショートカットの道を案内いただきました。山中に石垣が多く残存する箇所があり、寺跡のようですが、山岳寺院であり、寺院城郭、あるいは、居館であったかもしれません。 林道の城跡への直登地点から城域の尾根まででも比高で100m余りあった感じです。途中2/3の地点で大きな平場があり、水源になるような箇所がありました。もしかしたら水の手かもです。ここから、最後の斜面を登りきりと一騎駆けの土橋のような尾根を処理された箇所に出ました。左手は半面山方向で城跡遺構はないようです。右手に進むと左手に大きな下り道があり、虎口のようです。その先の尾根上には主郭切岸下に明瞭な堀切と土橋が残ります。土橋を渡り斜面を登ると主郭です。けっこう広く細長い郭です。真ん中に巨石が見通しをさえぎっています。主郭端には虎口があるのですが、まるで古墳の石棺の一部のような巨石を使った桝形状の虎口があり、その先に二の郭があります。 その先、不完全な段郭が二つ続き、城郭端には巨石のピークがあり、そこにわりと広い郭があります。主郭から城域端までの東側に帯郭が続いており、主郭端虎口から二の郭に下りるとすぐに二の郭から帯郭に下りる虎口につながっています。けっして大きな城でもなく、明瞭な遺構は主郭下の堀切と土橋、主郭とその虎口、尾根上の一騎駆け程度ですが、来れたという満足感は相当です。^^V


城跡遠望
歴史

築城時期、築城者は不明です。 近くの滝ケ嶺城が森氏の居城であることから、森氏が築城した可能性はあります。史料では、天文十九年(1550年)に波多野秀親が在城していたとされます。八上城の勢力圏であったようです。また、天文二十二年((1553年)には三好長慶方の松永久秀らに攻められたとされます。 永禄二年(1559年)頃に三好氏方に降伏したようです。

一騎駆け       主郭虎口
主郭と土塁         城域端の郭
  
中腹の石垣群
水の手?          尾根の虎口
主郭手前の堀切と土橋
主郭端虎口・巨石が取り囲む          二の郭の虎口 
帯郭から城域端の郭を見る         巨石のある郭
堀切と土橋

近くの城・関連の城:滝ケ嶺城