丹波/ 甲が峯城(山家城)



ファイルNo1967

             堀切と主郭切岸  

@ こうがみねじょう(やまがじょう) 
  別名 甲が峯城 左衛門屋敷 

A住所:綾部市広瀬町
B目標地点:伊也神社
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・(説明板)
G時代/人物:戦国期/和久氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山家城(山家陣屋)から20分

J撮影・訪問時期:2008年09月
      ・(2021年10月)

  

道案内 

京都縦貫道の京丹波わちインタを下り、国道27号線を綾部市街地に進みます。約3.5km先(山家の信号の1.5km手前)で右折します。(標識有) 約200m先を左折し、約900m先が山家城(山家陣屋・山家城址公園)です。

舞鶴若狭自動車道の綾部インタを下り、府道77号線を綾部市内に向かいます。2.1km先で白瀬橋で由良川を越えます。橋を過ぎると府道は大きく左カーブになります。1.2km先の信号で左折し丹波大橋で再び由良川を渡ります。その先が味方の信号で、右折し国道27号線を京丹波町方面に進みます。6.5km先、山家の信号を越えます。1.5km先で左折し約200m先を左折し約900m先が山家城(山家陣屋・山家城址公園)です。 
訪城備忘録

山家城(山家陣屋)と道を挟んで反対側に伊也神社への石段があります。ここを登り、本殿前で右手方向に進み、すぐに山の斜面の道を登ります。稜線を登っていくと浅い堀切のところに至ります。この堀切は両サイド竪堀で落ちていました。さらに登ると主郭です。上下二段の郭で思ったより広いという印象です。主郭背後の堀切は明瞭です。
(2021年現在、説明板や標識が設置され、草刈りなど整備されているようで、夕方日没後に寄ってみました。山家城と表記しないで甲が峯城の表記がメインになってます。夕方だったんで登るのは諦めました。)
登り口
歴史

永禄六年(1563年)に和久義国が築いたとされます。丹波八木城の内藤氏との和藤合戦が伝えられますが、明智光秀の丹波攻めで落城しました。天正十年(1582年)に谷衛友(これとも)が山家藩一万六千石にて入りました。谷氏の祖先は、近江国甲賀郡の出で、衛友の父の衛好は斉藤道三の家臣でしたが、その後は織田信長に仕え、天正七年(1579年)に播州三木城戦で討死しました.衛友は、慶長五年(1600年)の関が原の戦いでは、西軍に付き、田辺城を攻めましたが、細川幽斎と親交もあり、領地は安堵され、山城の甲が峯城は廃して山家城(山家陣屋)を築き、江戸期を通じでこの地を治めました。

  主郭          主郭背後の堀切
主郭西側の堀切      主郭下帯郭
城跡遠景
  

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