丹波 / 須知城



ファイルNo1779


                  主郭東側下石垣   

@ しゅうちじょう 
  別名 市森城 

A住所:船井郡京丹波町市森
    旧:船井郡丹波町

B目標地点:琴滝・玉雲寺
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・土塁・竪堀・堀切
G時代/人物:室町期/須知氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  50分

J撮影・訪問時期:2007年09月・2017年04月

  

道案内 ←城跡   ←登り口
    
京都縦貫自動車道丹波インターで下り、国道9号線の信号で右折します。すぐの80m先の信号で右折し琴滝方面に向かいます。道なりに400m先で右折し縦貫道のガードをくぐります。すぐに直進と左折の道になり、左折し(せせらぎの小径と案内板があります。)200m先市森集落に入ります。(防火槽のところの空き地に駐車し、) 道が左右にわかれていますので、右手に進みます。集落裏手に登り口があります。
    
訪城備忘録
    
丹波の山城はどこもきついなぁ^^; でも、思った以上に石垣が残ってるんでうれしいです。^^V さて、須知城ですが、道はきちんと整備はされてはいませんが、遺構は良好で満足でした。市森の集落から尾根をひたすら登って城域に入ります。幅は30m以上の細長い西の郭から入りました。この辺は寺跡らしく削平もしっかりして大変広い郭です。100mほど進むと2mほどの切岸を越えると郭の崎に高さ1mほどの石垣が15mほど横たわっています。この右端に虎口があり両サイド石垣が残っています。この辺が二の郭にあたるのでしょう。この先にさらに一段高く主郭が有ります。主郭内は荒れていて見通しが悪いですが、高い土塁がニ方にあり、幅も分厚く櫓台であったようです。主郭の先は5mほど落ち込んでおり、主郭斜面の三方は石垣が残っています。なかなか良好な状態で石垣は残っていて、登ってきた甲斐があったちゅうもんです^^V その先は堀切を越え、段郭が続きます。途中の段郭には、三方を土塁で囲んだものもあります。この区域は主郭周辺に比べ、郭の小さく、斜面に段郭になっていて城としては古さを感じます。周山城ほどではないにしても、石垣の残存度はなかなかのもので、連郭式の城ながら腰郭からの虎口など新しい技法も感じる期待以上の城でした。なお、近くにある琴滝は滝の音が琴の音に聞こえることがあるかららしいですが、行った時は渇水してました^^;。また、玉雲寺は須知城を明智光秀が攻撃の際に兵火で焼失したものを光秀が寄進し再建したものだそうです。
   
2017年04月に再訪しました。 時期もあるでしょうけど、整備は少しされ、木々は間伐されているようで、遺構が見やすくなってました。

二の郭虎口付近石垣
歴史
   
須知氏は鎌倉幕府倒幕の際、足利尊氏に従ったようです。しかし、南北朝には南朝系であったようで、北朝に攻められ一時没落したようです。しかし、戦国期に入り、盛り返し、麓の玉雲寺の縁記には、玉雲寺は、須知出羽守慶吉の援請にて、応永二十三年(1416年)に開山されたと書かれてました。天正元年(1573年)の織田信長の丹波攻略では、明智光秀に協力的であったようです。しかし、須田元秀が八上城の攻防で負傷して死亡し、その後、天正四年(1576年)頃に城は明智氏のものであったようで、天正初期に織田氏から離反して明智光秀に攻められ落城したようです。その後、明智氏の手で今の遺構のような城に改修されたようです。廃城は天正十年(1582年)、本能寺の変後ではないでしょうか。
    
主郭石垣
城域よりの眺望
西の郭手前     西の郭(寺院)
西の郭
西の郭
二の郭仕切石垣
虎口石垣
二の郭
主郭
主郭土塁
主郭東面石垣
主郭東面石垣
主郭の東側(郭かは?)
堀切
東の郭と土塁
東のピーク郭        東のピーク郭の土塁
東のピーク郭土塁とその東下の土塁囲みの郭
東のピーク郭斜面石垣痕跡         東のピーク郭
2007年訪城写真
   西の郭(寺院跡)        西の郭と主要部の境の土塁
二の郭石垣
二の郭虎口
主郭東側下石垣
主郭東側下堀切       東二の郭と石垣痕跡
東の郭土塁       東の段郭
城跡遠望
琴滝(渇水してました^^;)          登り口
琴滝の駐車場の案内板         玉雲寺

近くの城・関連の城:上野城