越中 / 茗荷谷山城


 
ファイルNo1533

土肥氏の支城のひとつ

                            城跡方向遠望(日石寺より)   

@ みょうがだにやまじょう 
  別名 

A住所:中新川郡上市町大岩 
B目標地点:大岩山日石寺 
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林 

F遺構等:(郭・堀切・土塁) 
G時代/人物:戦国期/土肥氏
H満足度:−−−
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  途中断念

J撮影・訪問時期:2006年08月
             (2017年05月)

  
日石寺仁王門

道案内】 ←説明板のある場所  

北陸自動車道立山インタを下り、県道3号線で上市市内を通って湯神子温泉前を通り、県道152号線で大岩山日岩寺に向かいます。

(あるいはインタを下り県道3号線を南下し江崎の信号で県道167号線に入り、そのままスーパー農道に入り柿沢の信号の次の信号で右折し県道152号線です。) 



【現況・訪城記録】

富山では目のお寺として有名で、また、岩に刻まれた麿崖仏の本尊不動明王で有名です。私は大岩山日石寺には盆暮れの二回必ず行きます。別に宗徒では無いですけど。説明板の設置はずいぶん前から知ってましたが、途中断念の城として掲載します。この背後の城ケ平山が茗荷谷山城ですが、この辺は熊の出没も多く、軽装ではなかなか登れません。城跡へは日石寺に登る百段坂の石段の反対側の公衆トイレの横に城の説明板があり、ここより小道を進むとすぐにもうひとつの説明板があります。ここから山に向かって進みます。二つ目の説明板から1.8Km先にあるようです。縄張りは複雑なものではないようです。
2017年05月に日石寺に行きました。城跡までの眺望が見やすくなってましたので写真を入れ替えました。


【歴史】

築城時期ははっきりしないようですが、土肥美作守(政繁)あるいは土肥左衛門が城主とされ、土肥氏の本城の弓庄城の支城・詰城です。土肥氏は相模国土肥郷を本領とした土肥次郎実平を祖とする一族で、実平から五代目の実綱が越中堀江(滑川市)に入国したのが正平年間(南北朝期)と考えられます。その後、四代の土肥政道が居城を弓庄城に移し、以後、政忠・政繁の三代の居城となりました。政繁は上杉氏に属していましたが、謙信の死と織田氏の越中侵攻に伴い、織田氏に属しました。しかし、天正十年(1582年)の本能寺の変で織田信長が討たれると、再び上杉氏に通じたため、越中統一を進める佐々成政は弓庄城を攻撃、天正十一年(1583年)に政繁は城を明け渡し越後に落ち延びたとされます。これ以後、茗荷谷山城も廃城になったと考えられます。

  
現地説明板
  
説明板近くより城跡方面遠望
      
  

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