越中/ | 白鳥城 |
ファイルNo0085 |
@ しらとりじょう |
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【道案内】 ← +の位置は駐車場です。 富山市中心部より旧国道8号線=現県道44号線を呉羽山方面に向かいます。神通川を富山大橋で越え、路面電車の大学前終点を過ぎ、富山大学正門前を過ぎて約1Km先の呉羽丘陵の切通に入る手前に左に曲がり山道を登ります。丘陵尾根まで登り呉羽ハイツの手前に城山公園駐車場があります。ここに城址碑があり、城址碑右手を登って行くと城跡に達します。 【訪城備忘録】 城山駐車場から主郭に向かうと、砲台状の郭、その間の堀切、二の郭の井戸、主郭下の堀、北の出郭(北二の丸と標識有)との堀切まどが確認できますが、夏場では草が生い茂り、全体として、城の遺構を明瞭には見ることができないです。 城山駐車場の上の展望台からは晴れていると富山市越しの立山連峰、富山駅付近の北陸新幹線などを撮影するスポットになります。 2021年、駐車場に寄ってみました。駐車場に縄張図付きの説明板などが設置してありました。 これは2018年に設置されたようです。 【歴史】 寿永二年(1183年)に木曽義仲の家臣今川四郎兼平がここに陣を張ったとするのが白鳥城の最初の記録だそうです。城としては神保長職が富山城の支城として築城したものと考えられます。佐々成政が越中を掌握した際には、富山城の支城または安田城の詰め城であったようです。その後、天正十三年(1585年)豊臣秀吉が佐々成政を攻めた際、豊臣軍は白鳥城を本陣とし安田城と大峪城を出城として富山城を包囲し成政は降伏しました。 |
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城跡展望台から |