越中 / 白鳥城



ファイルNo0085

平安末期より城としての機能をした

                               二の郭下堀切  

@ しらとりじょう 
  別名 

A住所:  富山市吉作 城山
B目標地点: 城山公園・呉羽ハイツ
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:公園・山林 

F遺構等:郭・切岸・堀・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期〜戦国期/〜神保氏〜前田氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城山駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2000年03月・2014年07月
            (2017年05月)

  
二の郭下堀切と切岸

【道案内】  ← +の位置は駐車場です。

富山市中心部より旧国道8号線=現県道44号線を呉羽山方面に向かいます。神通川を富山大橋で越え、路面電車の大学前終点を過ぎ、富山大学正門前を過ぎて約1Km先の呉羽丘陵の切通に入る手前に左に曲がり山道を登ります。丘陵尾根まで登り呉羽ハイツの手前に城山公園駐車場があります。ここに城址碑があり、城址碑右手を登って行くと城跡に達します。



【現況・訪城記録】

城山駐車場から主郭に向かうと、砲台状の郭、その間の堀切、二の郭の井戸、主郭下の堀、北の出郭(北二の丸と標識有)との堀切まどが確認できますが、夏場では草が生い茂り、全体として、城の遺構を明瞭には見ることができないです。



【歴史】

寿永二年(1183年)に木曽義仲の家臣今川四郎兼平がここに陣を張ったとするのが白鳥城の最初の記録だそうです。城としては神保長職が富山城の支城として築城したものと考えられます。佐々成政が越中を掌握した際には、富山城の支城または安田城の詰め城であったようです。その後、天正十三年(1585年)豊臣秀吉が佐々成政を攻めた際、豊臣軍は白鳥城を本陣とし安田城大峪城を出城として富山城を包囲し成政は降伏しました。

城址碑

  
主郭
  
   主郭北下郭                       北二の郭(丸)への堀切
主郭下空堀                        二の郭井戸
    
現地説明板より
主郭北下郭    2000年撮影   切岸と堀
城跡展望台から
    
しろやま展望台より富山市街地遠望
富山空港に降りる旅客機

近くの城・関連の城: 安田城 大峪城