越中倶利伽羅峠城



ファイルNo0068

源平の戦いの古戦場 戦国期には一向一揆の城

                   倶梨伽羅 平氏本陣

@ くりからとうげじょう 
  別名 

A住所:小矢部市石坂 
    〜石川県河北郡津幡町倶利伽羅

B目標地点:倶梨伽羅峠
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:公園・寺・山林

F遺構等:郭・説明板
G時代/人物:−−期/−−
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2000年03月

  
倶梨伽羅不動寺付近

【道案内】 

北陸自動車道小矢部インタより県道42号線で北上し、道林寺地区で倶利伽羅峠(倶利伽羅源平古戦場)へ向かう「源平ライン」道路へ左折します。そのまま道なりに山道を進み、最高点近くで道が大きくU字カーブをする箇所に「源氏ケ峰山」の標識があります。ここを越えてさらに道なりに進むと倶利伽羅峠です。この手前に平氏が本陣を置いた猿ケ馬場があります。また、道林寺地区から1Km強の地点の右手奥に葵御前・巴御前の墓/供養塚があります。



【訪城備忘録】

倶利伽羅城という言い方がいいのかわかりません。ただ、一向宗の拠点のひとつになっていた時期もありますから城でいいと思います。平維盛の本陣は、今は猿ケ馬場とよばれています。結構広い平坦地ですが、遺構と言えるのはわかりません。小矢部市蓮沼から倶利伽羅峠の登り道途中には巴塚・葵塚もあります。


【歴史】

源平合戦のひとつ、寿永二年(1183年)に源氏方木曾義仲は牛にたいまつを付けて平氏の陣になだれ込ませ、平家勢を壊滅させた砺波山の戦い=倶利伽羅峠の戦いの場所です。

  
倶梨伽羅峠
  
  

近くの城・関連の城: 源氏ケ峯城一乗寺城・松根城

          

  葵(御前)塚          巴塚    
    
木曽義仲の愛妾であった巴御前と葵御前は共に男に勝る勇者でした。葵御前は寿永二年(1183年)の倶利伽羅峠の戦いで討死しこの地に葬られましたが、巴御前は義仲が今の大津で戦死して後、和田義盛に嫁ぎ、朝比奈三郎義秀を生みましたが、朝比奈氏滅亡後、越中福光城主石黒光弘に寄食し、剃髪して兼生と名乗り、宝治元年(1247年)になくなりました。<現地案内板より>