越中/ 一乗寺城



ファイルNo0077

織豊期の遺構が残る加越国境の城

                城跡入口の城址碑

@ いちじょうじじょう
  別名  −−−−−

A住所:小矢部市八伏・五郎丸
       〜石川県河北郡津幡町南横根

B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:土塁・堀・堀切・連続虎口・石碑・説明板
G時代/人物:南北朝〜戦国期/?〜佐々氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城址碑の駐車スベースより5分

J撮影・訪問時期:2002年8月 2004年11月
            ・2015年10月

  

【道案内】 

北陸自動車道小矢部インターを下り、県道42号線に入り、平桜の信号で国道359号線に左折し、石川県県境方面に進みます。末友の信号の信号を越えると右手に工場があり、その先で右折し、県道214号線に入ります。県道でありながら細い山道を石川県境まで進みます。県境の標識のところで林道との十字路があります。この林道へ左折し、しばらく進むと城址碑のところに着きます。



【訪城備忘録】

約10年ぶりに訪れて見ました。相当に草刈りなどされ整備されてました。まだ、東斜面が整備途中のようでもありましたが、そのうち二重虎口も見られるようになるかもしれませんね。 城址碑のところから奥に歩きますと、左手に堀切が見えます。ここに説明板があり、さらに進むと上へ登る道があります。昔はこの登り口に説明板がありました。登って郭内に入るとすぐ正面の土塁が目に入ります。その横に竪堀状の窪みがありますが、凹状にきれいに整形してある感じで下部には郭がありさらに下の方に進めるようになっています。以前と大きく変わったのは尾根先端までの平坦地が草刈りされ、平坦地を隔てる堀切、土橋、先端の土塁が明瞭に見られるようになってました。すごい広い平坦郭が中央で堀切で二分され、先端部周囲を土塁が巡り、北側の腰郭とそれへの導線も明瞭です。主郭後方はまだ熊笹などが残りますが、草刈り等整備をされている途中のようです。


【歴史】

この城が史料に最初に現れるのは南北朝期で、南朝側桃井直常勢を北朝能登守護吉見氏頼勢が追い落としたとあるそうです。天正十二年(1584年)に加越国境緊張時は佐々成政の家臣杉山小助が守備したとあります。   <現地案内板より 小矢部市教育委員会> この佐々成政時代に改修されたものが今日見られる遺構のようです。


主郭下の説明板(現在説明板移動)
堀切
郭内
  
竪堀状        堀切
中間郭土塁        主郭方向段郭
先端郭を二分する土橋と堀切
堀切
堀切と土橋                          土塁
腰郭            腰郭への虎口
先端土塁
主郭下
主郭後方
主郭からの眺望

近くの城・関連の城:松根城 名畑砦

          

現在の説明板     城跡そばからの夕陽
城跡で出会ったリス