信濃/ 米山城



ファイルNo0414

            主郭(村上氏石碑)

@ よねやまじょう 
  別名

A住所:上田市住吉
B目標地点:
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/村上氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の城址碑から30分

 (砥石城との尾根分岐点から10分)

J撮影・訪問時期:
2002年05月・2025年12月

  

道案内 

上信越自動車道の上田菅平インタより国道144号線に入り、約2km先、上野の信号を越え、約200m先の伊勢山の信号で左折し砥石米山城街道に入り、上野の集落を通り、約500m先の十字路で右折します。約100m先を右折、約100m先の左手が駐車場です。北へ向かう道から模擬櫓門をくぐり、尾根を登りだします。途中道標がありますので安心です。10分程度で東西に走る尾根に着きます。左に行くと米山城(約10分)です。(右に行くと砥石城(約15分)となります。)

訪城備忘録

砥石城との分岐点から左手尾根を行きます。すぐに堀切の痕跡のような箇所を越えます。以前はそのまま岩場の急斜面を鎖を頼りに登ります。この斜面の最初に堀切の感じの箇所があります。今は別に登城道ができてました。主郭と南下の段郭がふたつの単純な作りです。砥石城城塞群の出城的な城です。主郭から富士山が見えるらしいのですが、よくわからなかったです。

案内板と城址碑
歴史

築城年代は不明ですが戦国期に村上氏が小県方面への拠点にしていました。天文十九年(1550年)に村上義清が武田晴信(信玄)を大敗させた「戸石崩れ」は有名ですが、天文二十年(1551年)に真田幸隆は諜略でこの城を単独で落としました。真田幸隆の子の真田昌幸もこの城に居城しましたが、天正十一年(1583年)に上田に移り上田城を築城しました。それ以後も上田城の支城として機能しました。
米山城:戸石城の西南の峰続きにあり、主郭の南に二の郭・三の郭を配し、その下に腰郭も築かれています。この城には白米で馬を洗って水がまだあるように見せかけた白米伝説も残ります。 <現地案内板より 上田教育委員会>

副郭から主郭      堀切?
麓からの登城道から遠望
  
分岐点から城跡側
城跡への看板の急坂
城跡下斜面
段郭
段郭
主郭
主郭からの眺望(富士山・・・どこ??)
砥石飯綱城 f4267

@ いいつなじょう A住所:上田市上野  B目標地点:旧伊勢山公民館 陽泰寺
C形式:丘城  D比高:40m E現況:畑地・公共施設  F遺構等:郭?・説明板
G時代/人物: 戦国期/村上氏 H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:陽泰寺から5
J撮影・訪問時期:
2025年12月 

上信越自動車道の上田菅平インタより国道144号線に入り、約2km先、上野の信号を越え、約200m先の伊勢山の信号で左折しすぐを右折しまたすぐを左折して道なりに集落内を進みます。約600m先の路地に右折した先、約50m先の左上が旧集会所で城跡で内小屋のようです。ただ、周囲に駐車場が無いため、約300m先の左手の陽泰寺に停めさせていただき、徒歩で行った方がいいです。

旧伊勢山集会所は内小屋(根小屋)のようです。その背後の尾根上が城跡のようですが、畑地など私有地のようですので、入れません。遺構は郭だけのようです。

砥石城の大手側を守る出城と考えられます。

旧伊勢山集会所     説明板    
旧伊勢山集会所の石垣<明治に築かれたようです。>
集会所背後の丘陵を遠景

  

近くの城・関連の城:砥石城