道案内 ←駐車場 ←(旧)城址碑と(旧)説明板 |
上信越自動車道の上田菅平インタより国道144号線に入り、約2km先、上野の信号を越え、約200m先の伊勢山の信号で左折し砥石米山城街道に入り、上野の集落を通り、約500m先の十字路で右折します。約100m先を右折、約100m先の左手が駐車場です。北へ向かう道から模擬櫓門をくぐり、尾根を登りだします。途中道標がありますので安心です。10分程度で東西に走る尾根に着きます。左に行くと米山城(約10分)、右に行くと砥石城(約15分)となります。(あるいは陽泰寺まで行き、左手より登ると大手口(砥石城と本城の間)に至るようです。)
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| 訪城備忘録 |
戸石城(砥石城)は砥石城、本城、枡形城の総称で戸石城(砥石城)と呼ばれ、本城が中心郭になります。麓より尾根まで登り右手に進み登ります。ちょっと長めの急坂を登りきると砥石城です。ほぼ単郭の郭で、東南側と北側に堀切が残ります。 東南側の堀切は下り支尾根を遮断する感じです。砥石城背後(北側)の切岸は高く、直下に北側の堀切があります。北へ尾根を進むと本城になります。尾根を進んで行くと段郭より手前に馬場と言われる幅広の平坦地があります。山上ながら大変広い平坦地です。その背後から段郭で本城主郭を@として数えて五段の段郭です。大手口を越えスロープのような土塁を登って行くと五段目は帯郭のような細い郭で、その上、四段目は三段目をL字に囲むように南から東側にL字の郭です。三段目、二段目と続き、本城主郭の切岸には石積みが残存しています。四段目kら二段目までの段郭はどれも広い郭です。規模は違いますが近江小谷城に似た感じがあります。本城主郭背後には明瞭で大きな堀切があります。そこから再度登りです。桝形城は、城塞群では一番北で本城よりは高い位置にあります。本城からの登り、枡形城手前に浅いですが堀切が残り、土橋のような形状があります。枡形城は三つの中では一番小さい郭で、北側の小さな堀切痕の先に小郭が付属しています。詰の城というより見張りの城という感じでしょうか。
2002年以来、2025年に再訪しました。麓の駐車場や模擬櫓門などしっかりと整備されていました。典型的な戦国の山城で、防御は高地の城域、堀切・堅堀、切岸です。ただ、本城主郭手前の段郭は居住性を感じる広い郭が段郭として続き、これは印象に残ります。
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(旧)説明板と城址碑
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築城年代は不明ですが戦国期に村上氏が小県方面への拠点にしていました。戸石城は「戸石城+本城+桝形城」という3つの別郭で総称として戸石城となり、出城的な米山城も加えて城塞群を形成しています。天文十九年(1550年)に村上義清が武田晴信(信玄)を大敗させた「戸石崩れ」は有名ですが、天文二十年(1551年)に真田幸隆は諜略でこの城を単独で落としました。真田幸隆の子の真田昌幸もこの城に居城しましたが、天正十一年(1583年)に上田に移り上田城を築城しました。それ以後も上田城の支城として機能しました。 <現地案内板 参考>
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