遠江 | 片瀬城 |
ファイルNo4018 |
@ かたせじょう |
道案内 ←八面神社 | |||
新東名自動車道の森掛川インタを下り、信号を右折し県道40号線を進みます。約2.5km先の福田地の信号です。さらに約3.5km先、谷崎の信号、そこから約300m先の愛光園入口の信号を右折します。約700m先、新東名道の高架をくぐったところで左折し、約50m先の右上の山が城跡です。約100mほど山沿いの道を歩くと左手に谷間に入れる箇所があります。ここに入り登ると崩落した東斜面の上に尾根があり、この周辺が城跡主郭です。しかし、ここから登るとはきついかもです。 |
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訪城備忘録 | |||
城域は南側は新東名高速道路で1/3が消滅し、北側はゴルフ場で1/3が消滅、主郭と二の郭、及び、その間にある堀切が残り、南側の城域端の郭の一部と小さな堀切が一条残るという状況です。 説明板は八面神社のところにあります。愛光園の信号か県道を約300mほど行ったところで右折し、約100m先で左折しすぐを右折し山側へ向かいます。約150m先を左折し坂を上ると八面神社です。八面神社から北へ進むと大きな墓地が高台先端にあり、これの西端から山に向かいますと竹薮に入ります。出来るだけ尾根を進んで高速道の手前でやや左手に行くと城域端の小さな堀切土橋とそこから落ちる堅堀を見ることができます。しかし、これより先は高速道でフェンスもありますので当然行けません。いったん戻り、高速道の反対側に行きます。 高速道の山裾高架下に小さな階段がありました。ここを登ってみましたが、階段は途中から崩壊していてとても登って行けません。途中から山の斜面を直登して尾根のそばまで登ってみましたが、ものすごい矢竹の薮でそれ以上進めませんでしたので、いったん、東側麓側へ降りていき、東側から尾根に登れるところを探しましたが東側は斜面が崩落していて感じでほぼ垂直の壁になっててとても登れませんし危険です。たぶん主郭下だろう地点で支尾根のように突き出ている斜面が登れそうでしたが、ここまで来たところで気力が無くなって登りませんでした。 城友は西側からの急斜面を登ったそうです。主郭と二の郭の堀切はわりと明瞭に残っているようです。全体の縄張は武田氏の影響の強いものと言われます。 |
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築城時期は定かではないですが、永禄十一年(1568年)、武田氏に属した武藤氏定が、徳川氏の侵攻に備えて新たに築城し真田城より移ったとされます。元亀三年(1572年)、武田信玄は遠州攻めを開始した際には武田氏の拠点のひとつでしたが、信玄が病死し武田軍が甲斐に去ると徳川家康に攻められ、武藤氏は甲斐に退去したとされます。 |
武藤氏屋敷+草ケ谷城 4019 |
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