遠江/ 高根城



ファイルNo1325

復元整備された北遠の山城

      城跡遠望

@ たかねじょう 
  別名 久頭合城・久頭郷城

A住所:浜松市天竜区水窪町地頭方 
    
(旧:磐田郡水窪町)
B目標地点:向市場駅 
C形式:山城  D比高:200m 
E現況: 

F遺構等:郭・堀切・土塁・石積み・模擬櫓・説明板 
G時代/人物:南北朝期/奥山氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場より15分

J撮影・訪問時期:2003年03月・2006年03月

  
模擬門

【道案内】 

新東名自動車道浜松浜北インターを下り、国道152号線新道を北上します。約4km先、飛竜大橋北の信号で左折し県道40号線に入り、約1.2km先の双竜橋の信号で右折し国道152号線に入ります。  <あるいは、東名高速道浜松インタを下り、県道65号線を北上します。1.6Km先の信号で斜め右に右折し県道45号線に入ります。道なりに約15km先の中瀬四塔の信号で右折し国道152号線新道で、約1.6km先が浜松浜北インターです。さらには、名古屋方面から来た場合は 浜松西インタで下りて県道65号線を東に進み、10Km先の内野入口の信号で左折し国道152号線に入ります。約14km先が浜松浜北インターです。>   双竜橋の信号から国道152号線で約30Km先、旧:佐久間町を越え、旧:水窪(みさくぼ)町の向市場駅のところの信号で右折し県道389号線に入ります。JRを越えたところで右手方向に案内がでますので、それに従い駐車場まで登り、そこから徒歩にて城跡まで行きます。または、県道389号線をもう少し行くと右手に林道があり、(案内板あります)ここを進むと城跡の搦め手側に達し、ここから城跡に行くこともできますが、車の駐車スペースが1〜2台程度しかないです。)

  



【訪城備忘録】

三方が急斜面な山の先端に城跡はあります。発掘調査を元に櫓・門などが考証復元されていて、戦国期の山城の雰囲気が味わえます。 また、武田氏改修の石積みと言われるものもわずかながら残っています。この城の先、青崩峠を信州から越えて来た武田軍の中継地・拠点になったんでしょうねぇ。



【歴史】

応永二十一年(1414年)に南朝の伊良親王(後醍醐天皇の孫)を守護した奥山金吾正が、築いたとされます。奥山氏は大永年間(1504〜28年)には駿河の今川氏に属し、北遠江のほぼ全域を支配しましたが、永禄年間(1558〜70年)に今川氏が凋落した事に伴い、今川・徳川・武田への帰属を巡り内部紛争が起こり自滅したとされます。  <あるいは永禄三年(1560年)に奥山能登守定之・子の貞益が在城の時に、信州遠山氏によって攻められて落城したともされます。この時、貞益の次弟の奥山美濃守定茂が謀ったとされます。高根城を落とし、支城の若子城(三男の定吉)、小川城(四男の定次)も落城したとされます。>  天正年間初め(1570〜76年)に武田氏が遠江侵攻を開始、高根城を大改修したとされます。しかし、天正十年(1582年)の武田氏滅亡の時に廃城となりました。 <現地案内板より>


  
  
模擬櫓
  
二の郭
  
  

近くの城・関連の城:若子城

          

現地案内板より
石積み        *
二の郭下より      堀切
堀切      城跡遠望