遠江/ 掛川古城



ファイルNo1324

朝比奈氏時代の遺構が残る

      土塁   

@ かけがわこじょう 
  別名 

A住所:掛川市掛川 
B目標地点:龍華院 劉華院子角山公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況: 寺院・公園

F遺構等:土塁・堀切 
G時代/人物:戦国期/朝比奈氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2006年04月・2015年02月

  
堀切

【道案内】 

東名高速道の掛川インタを下り、料金所を越えてすぐの信号を右折し、次の信号を右折し県道38号線に進みます。500m先で東名高速道をくぐり、さらに600m先で東海道線をくぐります。300m先の仁藤の信号で左折し県道37号線に入り、500m先の信号を右折し県道39号線に入り300m先の右手が現掛川城天守のある掛川公園ですが、その先、公園北側で右折(国道1号線との信号の城内の信号の120m手前)して300m進み、最後を急な坂を登ったところが龍華院大献院霊屋です。この東側に土塁と堀切があります。

  


【訪城備忘録】

夕方の訪城で暗くなってしまいましたが、龍華院側にはL字にりっぱな土塁が残り、その先には大堀切が残ります。堀切は訪城時点で整備工事中でその先には公園も造成中でした。この整備で城郭遺構の趣が損なわれたようにも感じてしまいますが、市民の方々の利用を考えるとしかたがない事なのでしょうね

明るい時間に再訪の写真をUPしました。

【歴史】

文明元年(1469年)、今川氏の家臣の朝比奈泰煕が築いたと伝えられます。朝比奈氏が三代続きましたが、今川義元が桶狭間で敗死後、武田氏、徳川氏の双方より侵攻を受け、永禄十一年(1568年)には当主の今川氏真は武田氏に攻められ駿府館を捨て、朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ籠城しました。掛川城は徳川勢に攻められるも落城せず、氏真の助命を条件に開城しました。氏真と泰朝は小田原城に退去し、掛川城には徳川氏の持城となりました。現在の掛川城は天正十八年(1580年)に入った山内一豊が築城した城で、この古城は朝比奈氏時代の遺構が残ると言えるようです。

     
  
龍華院 大獣院殿霊屋
  
公園より堀切を見る
  
  
掛川城復元天守遠望         堀切入口
土塁
堀切

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堀切