若狭 梅谷城



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@ うめたにじょう 
  別名 岩屋上城 

A住所:三方上中郡若狭町岩屋
    旧:三方郡三方町

B目標地点:円成寺
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:室町期/氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分


J撮影・訪問時期:2024年05月

  

道案内 

若狭舞鶴自動車道若狭三方インターから約3.5km先がJR三方駅で、駅前から約4.5km先が上野の信号でここを右折します。約600m先を左折し、約100m先が円成寺の駐車場です。駐車場から本堂は左手方向で、本堂の前を右手方向の山側へ行くとゲートがあります。ここを入り左手へ登って行きます。支尾根の先端右手方向に登ります。中腹のお堂まで登ったら、そのお堂の左手支尾根から背後を登って行きますと岩屋城に到達します。さらに奥の尾根を登って行きます。道は無いですが登りやすいです。岩屋城の背後の頂部にいったん登り、頂部から左手へいったん下ります。大きな堀切のような箇所を越えて再び登ります。ネットの張られた尾根をネッt沿いに登って行きます。ここも登りやすいです。やや左にカーブしながら登り尾根(ここは眺望がいい)を登って行き、最後はわりときつい斜面を登り切るとと城域に到達します。

訪城備忘録

岩屋城から山頂へ向いて登ってきた山頂尾根に城跡はあり、東端に小規模な東城があり、約200m離れた西側に西城があります。

東城は楕円形の単郭の東側と西側が堀切で処理されているという簡単な城です。背後の堀切が明瞭です。

西城も単郭ではありますが、郭内はきちんと整地され、土塁も巡り、堀切も深いまま残っています。 最初に二重堀切があります。やや斜面に構築されています。堅堀もしっかり落ちていました。その上が主郭です。東側周囲を低い土塁が巡ってました。郭の中央南側が凸形状で一段低く、郭面の中央を絞ってます。その西側、直線のわりと高い土塁が横たわります。外からの視界を遮断するような土塁です。この土塁の先は堀切で中央に土橋がありましたが、土塁で遮断したところに土橋はよくわかりません。さらに西側に小郭、その下が鞍部的に深いんですが、北斜面に大きく堅堀として落ちてました。 西城は岩尾城、梅谷東城に比べ、堅固なイメージがあります。

歴史
尾根からの眺望

若狭武田氏の家臣で、温科氏(ぬくなし)、または、久村氏(くむら)が城主と伝わるようです。永享十二年(1440年)、安芸武田氏から武田信栄が若狭守護として若狭に入部してきた時に若狭に入った家臣団の内の氏族です。城については詳細不明です。

西城最初の二重堀切のひとつ    西城主郭土塁          
国道から城跡遠景(左の山頂が城域)
城跡を遠望(手前の鉄塔は関係なし。背後の山頂)
道案内
岩屋城背後のピーク      ピークの左手下りる斜面
下りた大きな鞍部     最初の登り尾根
登り尾根からの眺望
梅谷東城
東端堀切状
東端下
切岸
郭背後の堀切
堀切から堅堀
堀切
梅谷西城
二重堀切の手前側を尾根から
二重堀切の手前側堀切 
二重堀切の手前側堀切を横から
二重堀切の奥側 
主郭の斜面
主郭内と東側の低い土塁
主郭の土塁
郭内からの眺望
主郭内
主郭内と正面土塁
堀切手前の土塁(けっこう高くでしっかりしている)
堀切と土橋?
振り向いて 堀切と土橋
西側の堀切
奥の尾根から堀切
堀切から落ちる堅堀

近くの城・関連の城:岩屋城