若狭 岩屋城



ファイルNo3983


              堀切              

@ いわやじょう 
  別名 岩屋下城 

A住所:三方上中郡若狭町岩屋
    旧:三方郡三方町

B目標地点:円成寺
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切
G時代/人物:室町期/氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2023年11月・2024年05

  

道案内 

若狭舞鶴自動車道若狭三方インターから約3.5km先がJR三方駅で、駅前から約4.5km先が上野の信号でここを右折します。約600m先を左折し、約100m先が円成寺の駐車場です。駐車場から本堂は左手方向で、本堂の前を右手方向の山側へ行くとゲートがあります。ここを入り左手へ登って行きます。支尾根の先端右手方向に登ります。中腹のお堂まで登ったら、そのお堂の左手支尾根から背後を登って行きますと城跡に到達します。
 
訪城備忘録

尾根斜面を登りきった先端部に城跡はあります。到達した箇所は主要部から一段下がった平坦地ですが、あまり削平がしっかりしているとも言えません。切岸を上がると主要部です。主要部は三つの郭で、最初の郭の背後、二番目の郭の背後、三番目の郭の背後とすれぞれ堀切で遮断されてます、しかしながらそう大きな郭ではありません。また、堀切も風化しているのでしょうか、なだらかな傾斜で浅いです。ただ、堀切であることははっきりわかります。この城を背後の斜面を山頂方向に登って行くと梅谷城に至ります。梅谷城と岩屋城の関係性がわかりません。単純に梅谷城の出城が岩屋城と言うわけでもないと思いますが。双方とも居住性はないと思います。

円成寺
歴史

若狭武田氏の家臣で、温科氏(ぬくなし)、または、久村氏(くむら)が城主と伝わるようです。永享十二年(1440年)、安芸武田氏から武田信栄が若狭守護として若狭に入部してきた時に若狭に入った家臣団の内の氏族です。城については詳細不明です。

堀切     郭
国道27号線側から遠望(右のピーク)
城跡を遠望
  
先端段郭
一の郭
堀切@
堀切@
堀切@
二の郭
堀切A
堀切A
三の郭と堀切B
堀切B
北側より城跡遠望
北側より城跡遠望
やや西側より

近くの城・関連の城:梅谷城