若狭 丸山城(茶磨山城)



ファイルNo3976

天ケ城の支城と言われる

            堀切            

@ まるやまじょう 
  別名 茶磨山城 

A住所:小浜市羽賀・丸山・小湊
    

B目標地点:山神神社・山手団地
C形式:山城  D比高:130m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:戦国期/内藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道入口から20分

J撮影・訪問時期:2023年10月

  

道案内 ←城跡      ←登り口

あるいは、若桜自動車道小浜インターを下り、小浜インターの信号を右折し県道24号線に入ります。約1.4km先で南川を渡ります。南川大橋から約400m先の信号を右折します。約400m先の信号で右折し県道187号線に入ります。すぐに竹原橋で南川を渡り、渡ってすぐの信号の先を右折し約300m先、丸山橋で北川を渡った正面が丸山集落で背後が丸山です。 この右手路地を山へ進むと山神神社です。

林道の登城口は県道187号線で、竹原橋で南川を、こうのとり大橋で北川を渡り、約100m先の信号で右折し、すぐを左折し約400m進んだ先、あるいは、信号からさらに約350m先を右折、約100m先左手が林道入口です。

丸山集落内、林道入口付近には駐車できる箇所が無いですので注意してください。

林道入口には車止めのフェンスがあります。ここから歩きます。林道はすぐに右カーブになるU字に進む感じです。じれの途中に「丸山登山道」という標識があり、この背後谷筋を登っていきます。(道は不明瞭です) しばらく登ると大きな鞍部に至ります。まるで大堀切です。これの右手斜面を登っていくと塹壕道が現れます。ここを登ると城域の北端に至り、南方向尾根に遺構があります。

訪城備忘録

行きは山神神社の背後から斜面を直登しましたが、砂地で木々も少ないのであまりこちらからは登られない方がいいです。道案内の通りが無難なんですが、訪城は逆に南側から攻めたのでそんな書き方になってます。

南尾根先端に至ると平坦地があり、なんとなく土塁が巡っている感じですが、これが城郭遺構なのか判断できません。ここから北へ向かって登ります。幅がある尾根で、もし南端まで城郭遺構ならこの辺は段郭という感じでしょうか。登りきると土塁の虎口にぶつかります。虎口横、南側の土塁が高く、周囲を低い土塁が巡る郭に至ります。幅もあり、相当に広い郭です。この北側の低い土塁を越えると郭とは思いますが、平坦地があり、さらにその上に南側のみ土塁がないですが、周囲を土塁が巡る郭があります。ここが主郭と思います。主郭の北西角に大きな窪みがありました。これが何かはわからんです。

そのまま斜面を尾根に下りると堀切を一つ越えます。尾根のこの周辺は郭としては使われなかったように見えます。尾根を再び登ると石室の跡があります。ここは前方後円墳ですので、石室背後が円墳部分、石室があるところが方墳部分のようです。さらに北側尾根端には平坦が不完全な郭のような空間とまるで虎口のようにぱっくり空いている登城道の入口があります。 この登城道には丸山登山道の標識が地面に落ちています。塹壕のつづら道を下りていくとまるで大堀切のような鞍部に至ります。左手の谷筋を下りると林道に出ました。

ここの城、一応、城郭遺構だろう土塁や堀切はあります。郭も中心部はとても広いです。しかし、なんか地面が白く見え、堀切なんかも風化してるように見えるんです。 ここが古墳の転用の城だから土が地肌では無いんだろうか? 元々のこの山の土地質なんだろうか?

歴史
林道からの標識

築城時期、築城者は不明です。 弘治年間(1555〜58年)に内藤兵庫が在城したとされるようです。 同じ内藤氏の天ケ城の支城と思われるとの事です。 この城は古墳時代中期から後期の前方後円墳を利用しています。さらに山神神社の背後のすぐ上に小浜藩家老三浦帯刀好正の墓があります。

主郭土塁       土塁と虎口?
眺望
        林道入口      林道から谷に入る(標識有)
谷筋を登っていく
大きな鞍部(まるで大堀切)
  
大きな鞍部(まるで大堀切)
大きな鞍部(まるで大堀切)
塹壕道の尾根上虎口状
北端の平坦地と土塁?
石室手前(北側)の堀切
石室手前の堀切
石室 
尾根上(主郭方面)
堀切 
堀切
堀切
主郭から尾根の堀切を見る
主郭と土塁 (角に窪地がある)
主郭内
主郭内
主郭内と土塁
主郭と主要部南郭の中間郭
主郭と主要部南郭の中間郭
主要部南郭と土塁
主要部南郭と土塁
主要部南郭土塁と虎口状<外側から>
先端から主要部への尾根
先端から主要部への尾根
        山神神社     南先端郭?と土塁?

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