越前 | 神宮寺城 |
ファイルNo3746 |
@ じんぐうじじょう |
道案内 | |||
北陸自動車道の金津インタを下り、右折し県道124号線に入ります。約300m先の金津インタ口の信号を左折し国道8号線に入ります。約3.2km先の牛ノ谷の信号で左折し県道153号円に入ります。約3.6km先、滝の信号で右折し県道120号線に入ります。約1km先で県道は観音川を渡って左方向に行きますが、橋を渡ってすぐに右折し集落に入ります。(車の場合は橋の手前右手の公民館に停めた方がいいです) 集落に入ってすぐのT字を右折します。約200m先で道は左折となりその先に石碑があり、その横が登り口です。道は麓を巡り春日神社まで行けます。 |
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訪城備忘録 | |||
登り口の神宮寺の碑は昭和四十年代に建てられたようで、「高台山神宮寺 寛弘八年(1011年)に春日神社の別當として建てられた 中腹に本堂、奥の院、鐘楼が残り、山頂に城址が残る」と書かれています。神宮寺は明治初めまであったようです。石碑の横の登り道を行きます。道の両サイドに平坦地が残り坊跡のようです。奥の大きな平坦地が本堂のようです。本堂跡の奥側に墓地が残り、その背後の斜面登ります。尾根上に登り右手上が主郭です。左手すぐに堀切状があり、その先に大きな郭(坊跡)があります。右手を登ると主郭前の竪堀二条が確認できます。主郭西側は空堀があり、中央に明瞭な土橋があり、馬出の役目の小郭が手前にあります。空堀は北から進入する際の城道でもあるようです。主郭内は中央が少し高まりがありますが削平は甘い感じです。主郭の北側下に竪堀が三条あるようですがわかりにくい。南側は堀切があり、その先の南側尾根に二郭、三郭があります。二郭と三郭の間も堀切のようですが藪で写真にならんかったです。主郭・二郭・三郭が城郭遺構と言う事になる感じです。 |
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築城時期、築城者は不明のようです。平安時代に創建された神宮寺の背後にある城跡です。縄張からすると戦国期のもので、南北朝期の堀江氏一族の細呂木氏が城を築いたか、あるいは、戦国中期に朝倉氏が加賀一向一揆に備え築いたかとされるようですが、現在残る縄張りは朝倉氏のようです。 朝倉氏が滅亡後は一向一揆など反織田方の拠点の一つであったようで、天正四年(1576年)の織田信長の越前一向一揆の掃討作戦の際に織田方に攻められ落城したようです。2021年、あわら市の市指定史跡となりました。なお、近くに川口城がありますが、川口城に比定されているところには遺構は無く、この神宮寺城が川口城ではないかという説もあるようです。 |
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