若狭 駈倉山砦



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                     南東側虎口<外側から>             

@ はせくらやまとりで 
  別名 駈倉山城・駈倉山付城 

A住所:三方郡美浜町佐田
B目標地点:織田神社
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:戦国期/朝倉氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  30分

J撮影・訪問時期:2018年11月・(2014年05月)

  

道案内 

北陸高速道敦賀インタを下り、料金所を超えて左側に下り8号線バイパスに入ります。約2Km先の岡山1の信号で直進し国道27号線(金山バイパス)に進みます。約5Km先の旗護山トンネルを越えたところで、下に下ります。(佐田トンネルの手前)県道225号線(国道27号線旧道)を海側に進みます。約1.2km先が佐田の信号で、さらに約800m先の今井の信号を左折し、県道118号線に入ります。約500mを左折し50m先の正面の鳥居をくぐります。約400m先が織田神社社務所です。

舞鶴若狭自動車道の若狭美浜インタを下り、信号を右折し国道27号線のバイパスに入ります。約800m先で側道に下り、県道118号線に左折します。。約1km先で右折し織田神社の鳥居をくぐります。

訪城備忘録

近くの佐田・北田地区の丘陵上にある狩倉山砦(城)と混同されそうですが別のものです。
織田神社の左手側道的な道を進みます。すぐにため池でそこのクランク状に奥へ進むと道路公団の通信設備があります。その横の道(やや藪になってます)を進むとゲートがあります。鍵はかかっておらずここをくぐります。200mほど行くと右手に舞鶴若狭道の上にです。この山側へ進みます。ちょうど佐田トンネルの上を歩いている感じです。しばらく斜面下を進みと谷部の平坦地に出ます。これもそのまま進むと右手と正面に谷があります。正面の谷はすぐに山斜面になっていてここを直登します。尾根まで登ると右手に進みます。最初のピークに至ります。ここも佐田トンネルの真上に位置します。そのままいったん下がる感じで進みますと二つ目のピーク(この辺は小浜線のトンネルの真上になります)で、またいったん下がってやや急な斜面を登るとあとはなだらかですがものすごい長い斜面を登っていきますと城跡です。長い斜面は尾根の幅もあり、臨時の兵站基地になりうる感じの斜面です。途中に猪の露天風呂が二か所ありました。まだ木に付いた泥は渇いていない感じで猪が朝風呂でも入った感じですね。^^;

さて、城跡ですがものすごい大きな広さを持つ単郭の城でした。中央部分がやや高くなっていて、また、西側に少し凸状に延びてる感じです。周囲は土塁が巡り特に西側南側の土塁は内側からでも高さがあります。虎口は登ってきた尾根端である北東側と反対側南東の二か所にありました。北側虎口が虎口外側に遮蔽の土塁が横たわり、南東の虎口は外桝形状に土塁が延びています。南側土塁の外側は横堀状になってます。これが南東の虎口まで続いてます。北東側虎口の東側土塁外側も横堀っぽいです。資料では想像できない広さと遺構の残存度で感動すらしました。

城跡遠望
歴史

永禄六年(1563年)から始まった朝倉氏による国吉城攻め、これより永禄十一年(1568年)まで続きますが、この間で築城されたとされます。中山の付城や狩倉山砦に比べると比高が相当高い所にありますが、広い郭となだらかな斜面はただの見張り監視の城とは思えません。ただ、天正十一年(1573年)の賎ケ岳の戦いの時に丹羽長秀が陣城として改修した可能性もあるようです。

南側土塁      東側土塁
南西虎口内側から遮蔽土塁を見る(桝形虎口)
若狭国吉城歴史資料館展示パネルより
地理院地図を加工
  
北側土塁(外側)     北東側虎口
東側土塁と堀
主郭と東側土塁 主郭と北側土塁
主郭西側と土塁
主郭南側と土塁
南側外側堀
南側土塁
南東側虎口外の堀
南東側虎口を内側から
主郭内
織田神社横の道     ため池越しに城跡遠望
ため池横の道    通信設備横の道
ゲート        若狭自動車道の上
登り口     谷平坦地
直登地点     直登した尾根上
登り尾根途中の猪の露天風呂       登り尾根       
登り途中からの眺望     城跡手前

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