若狭 狩倉山城



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                 横堀           

@ かりくらやまじょう 
  別名 狩倉山砦 狩倉山の付城 

A住所:三方郡美浜町佐田38
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:戦国期/朝倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2014年05月

  

道案内 

北陸高速道敦賀インタを下り、料金所を超えて左側に下り8号線バイパスに入ります。2Km先の岡山1の信号で直進し国道27号線(金山バイパス)に進みます。5Km先の旗護山トンネルを越えたところで、下に下ります。(佐田トンネルの手前)県道225号線(国道27号線旧道)を海側に進みます800m先を右折し、300m先の左手にあぜ道がありここを歩いて丘陵を直登します。

舞鶴若狭自動車道の若狭美浜インタを下り、信号を右折し国道27号線のバイパスに入ります。2.4km先の佐田トンネルを越えたところで下に下ります。

訪城備忘録

ほぼ円状の単郭の城で周囲を堀が巡っています。北と東西は二重の横堀です。東側も虎口があり、その外側に土橋も残ってます。外側の横堀には内側の土橋とは食い違うような箇所に土橋があります。

主郭内
歴史

永禄六年(1563年)から始まった朝倉氏による国吉城攻め、これより永禄十一年(1568年)まで続きますが、永禄七年(1564年)に国吉城攻めの付け城としてこの中山の付城を朝倉氏が築城したとされます。 (永禄七年当時の朝倉氏当主は義景) 永禄八年(1565年)、国吉城の粟屋氏勢が中山の付城を夜襲して焼き払い、朝倉勢はいったん撤退しますが、永禄十年(1567年)に中山の付城に代わる狩倉山城を築城し、国吉城の付け城としました。

堀と土橋
横堀
  
若狭国吉城歴史資料館展示パネルより

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