越前/ | 長崎城 |
ファイルNo1634 |
新田義貞の墓がある場所
@ ながさきじょう |
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【道案内】 北陸自動車道丸岡インタを下り、県道30号線を国道8号線に向かいます。1.4Km先の高架下、八ツ口の信号を右折し国道8号線に入ります。600m先の一本田の信号を左折し、県道10号線に入ります。1.2Km先の信号で左折し、600m先を右折、さらに200m先を左折した100m先が称念寺です。 【訪城備忘録】 城という感じはしません。新田義貞と本堂の裏手に土塁らしい盛り上りがありますが、それが遺構なのかよくわかりません。 なお、この寺の門前に明智光秀が朝倉氏に仕えながら10年ほど住んでいたという史料もあります。明智光秀は東大味にも居住の伝承があり、そちらは明智神社があります。 【歴史】 時宗の長崎道場と呼ばれ、正応三年(1290年)に時宗二代目の真教上人に称念房が寄進して、称念寺と呼ばれるようになったとされます。城としては南朝の陣城として機能し、暦応三年(1338年)、新田義貞は灯明寺畷の戦いで戦死しここに葬られました。足利将軍家は、長禄二年(1458年)に安堵状と寺領の寄進をし、将軍家の祈祷所として続きました。さらに江戸期は、徳川家が新田氏の末裔としているため、保護しました。 <現地案内板より> |
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