越前 / 東郷槇山城



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                    堀切 2001年             

@ とうごうまきやまじょう 
  別名 

A住所:福井市栃泉町 
B目標地点: 
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林・公園 

F遺構等:郭・石垣・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:室町期/朝倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の大手道より15分

J撮影・訪問時期:2001年08月・2018年04月

  
堀切

【道案内】  

北陸高速道福井インタを下り、国道158号線を大野方面に進みます。5Km先、天神の信号で右折し天神橋で足羽川を渡ります。渡ってすぐ右折し県道32号線に入ります。1.4Km先の県道140号線との分岐を左方向へ進み県道32号線をキープします。500m先の左手白山神社の先で左折すると城山までの林道があり、城跡まで登れます。大手道は県道の分岐点より100m先で左折し200m先で右折、200m先の三社神社より登城道が続いています。(山腹で林道と合流します。)



【訪城備忘録】

長谷川氏時代の城域は公園として整備されており、天守台の石垣も残ります。千畳敷の後方に明瞭な堀切と土塁が残ります。大手道を麓より登り、途中左手に朝倉時代の郭跡も多く残るようですが、2001年は夏場の訪城だったため、下草多く確認がむずかしい状態でした。2018年は雨で、車で登ったので朝倉氏時代遺構はまたもや未確認です。

【歴史】

黒丸朝倉氏三代氏景の次男正景が一条家の荘園である東郷庄を預けられ東郷下総守と名乗り、応永年間(1394〜1428年)に築城されたとされます。朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、その支城的役割を果たしたと考えられます。朝倉氏が天正元年(1573年)に織田信長に攻められ 義景は一乗谷より大野に逃れるも朝倉景鏡に裏切られて自刀し朝倉氏は滅亡してからは、柴田勝家が越前を治めるも天正十一年(1583年)に滅亡し、変わって丹羽長秀が治めるもこの長重は減封され、天正十二年(1584年)に長谷川秀一が東郷槇山城主(15万石)となりました。秀一は文禄三年(1594年)に朝鮮にて陣没したため、丹羽氏の領地に復帰し、丹羽長昌が城主となりました。長昌は関が原の戦いで西軍に与したため改易となり城も廃城となりました。


  
土塁
  
千畳敷
  
堀切
千畳敷土塁     天守台
天守台石垣
  

近くの城・関連の城: 一乗谷

          

現地案内板より
天守台石垣                天守台
朝倉氏時代の遺構             大手登城道