近江 | 法華寺 |
ファイルNo2474 |
@ ほっけじ |
道案内 | |||
北陸自動車道木之本インタを下り、木之本IC口の信号を右折し国道8号線に入り、長浜方面に進みます。国道は次の信号で右折です。1.4Km先にループ状の高架があり、ここを登り、国道303号線に入ります。1Km先が田部東の信号を右折し国道365号線に入ります。700m先、田部の信号を超えた先で左折し県道281号線に入ります。2.1km先で(高時川渡ってすぐ)左折します。250m先を斜め右に入り旧道に入ります。750m先の「まほろばの里」の説明板のところを斜め右の道に入り、さらに600mほど進んだY字を右に進みます。(左手は石田三成が関が原の戦いの後に隠れていた大蛇の洞窟の方向。この道はすぐに車は入れなくなるようです) 細い道はすぐに山林に入ります。すぐに右手に東屋の休憩所があります。休憩所から700mくらいで法華寺石段下に至ります。Uターンが若干きついですが、車でここまでは入ってこれます。 |
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訪城備忘録 | |||
この周辺は「まほろばの里」と呼んでいるらしいです。奈良時代前古墳時代から栄えたようで、平安期には多くの寺院が作られ、法華寺もそのひとつであったようです。戦国期は、いわゆる城郭寺院です。石段が一直線に伊波大岐神社の鳥居のある上の段まで続いており、両サイドに石垣の段郭(坊跡?)があります。大吉寺や弥高寺ほどの山岳寺院ではないですが、山深くにまっすぐの石段は神秘的です。神社の左手には池跡の大きな窪み、その下の段に大きな平坦地が目を引きます。ここは、石田三成が秀吉にお茶を出した寺の候補の一つです。(米原の観音寺も候補) 古橋は三成の母の出身地とされます。また、関ケ原の戦いに敗れた三成が隠れたというオトチの洞窟が近いです。 |
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法華寺は神亀元年(724年)に行基が鶏足寺の別院として創建されたものと伝わります。戦国期には浅井氏の庇護を受けたもののようです。天正元年(1573年)に浅井氏滅亡の際に織田軍に攻められ焼亡したと思われます。 鶏足寺は、元々は観音寺(蔵座寺)の別院で己高山(こだかみやま)山頂近くにあり、今も旧鶏足寺跡があります。ただ、観音寺と鶏足寺は同一と思われます。明治になり、荒廃し、昭和の初めに旧:飯福寺は現:鶏足寺として移転されましたが、昭和八年(1933年)に焼失して事実上の廃寺となっています。その後、地元の方々が保全され、最近では紅葉の名所となっています。なお、現在、己高山観音寺は長浜市高月町雨森にありますが、この寺も己高山山頂近くにあったとされます。天正元年(1573年)の焼き討ちされ、後に現在の地に移転再興されたようです。観音寺別院として、ここ法華寺、飯福寺(現鶏足寺)、石道寺(しゃくどうじ)、円満寺、安楽寺になるようです。 |
鶏足寺(旧:飯福寺)・石道寺 2474h |
@ けいそくじ(いいふくじ)・しゃくどうじ A住所:長浜市木之本町古橋 旧:伊香郡木之本町 C形式:山城(城郭寺院) E現況:山林・神社・畑 F遺構等:郭・石垣・説明板 G時代/人物:平安期/ーー H満足度: 凸凸 J撮影・訪問時期:2019年11月 紅葉で有名な現:鶏足寺、現在は仮本堂が建っていますが、石段、坊跡が残るのみです。本尊の十一面観音立像は近くの己高閣という施設に安置されています。2019年11月初旬に訪れた時はまだ紅葉には早かったです。 低い尾根の反対側に石道寺があります。石道寺の十一面観音立像は作家井上靖の小説「星と祭」に登場し、井上氏はここの観音様を「村の娘の姿で現れた」と表現したとされます。私もここは何度もお参りにうかがいます。 |
鶏足寺 |
石道寺 |
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