近江 オトチの岩窟



ファイルNo2967

石田三成が関ヶ原の戦いに敗れた後、逃亡し、隠れていたと伝承のある所

                            岩窟入口の幟

@ おとちのがんくつ 
  別名 大蛇の岩窟・オトチの洞穴

A住所:長浜市木ノ本町古橋
    旧:伊香郡木ノ本町

B目標地点:己高庵
C形式:ーー D比高:林道の登り口から230m
E現況:山林

F遺構等:洞窟・説明板
G時代/人物:戦国期/石田三成
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
 己高庵から林道を2kmで登り口、林道の
 登り口から900m
<比高230m(40分)>
J撮影・訪問時期:2015年05月

(注):城跡ではありません。番外

道案内 

北陸自動車道木之本インタを下り、木之本IC口の信号を右折し国道8号線に入り、長浜方面に進みます。国道は次の信号で右折です。1.4Km先にループ状の高架があり、ここを登り、国道303号線に入ります。1Km先が田部東の信号を越え、3.4km先の信号で右折し県道281号線に入ります。高時川沿いに少し走って800m先、斜め左に入ります。(己高庵の標識有・県道281号線旧道)。600m先を左折し、750m先の「まほろばの里」の説明板のところを斜め右の道に入り、さらに600mほど進んだY字を左に進みます(右手は法華寺)。林道を約2km進み(途中、1km地点で林道はY字で左手に進みます)、登り口に標識と説明板がありますので、そこから登ります。 林道入口から登り口まで、林道には、貝洞、谷ケ平、居張滝、藤蔵ケ谷、仏の谷、ヒル谷、東荒谷、西荒谷などの標識があります。

訪城備忘録

城仲間と訪れました。林道の登り口からきついつづら道を登ります。山道にも各所に標識がありますので、迷うような心配ありません。 岩窟入口には石田三成の家紋の入った幟があります。その左手方向に岩窟への入口があります。 岩窟への入口は大人一人がやっと通れるような竪穴で、内に入るために梯子が取り付けてあります。内部は入口とは別にもうひとつ岩の割れ目があり、そこから光は差し込むものの、真っ暗です。今は相当に埋まってしまったようですが、当時は25平米ほどの広さはあったと言われるようです。内部にはコウモリが二匹いました。懐中電灯を照らすと怒ってました。^^; ここの地区はクマの出没するところであり、岩窟のあるところは山中、岩窟もせまい竪穴であることもあり、単独行動は危険な所ばかり。独りでの行動はしない方がいいと思います。

岩窟の入口
歴史

慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、再起をかけて逃亡し、この山中に潜伏したと伝わります。しかし、徳川家康の命で探索をしていた田中吉政の手のものに捕縛され、大津城にあった家康のもとに連行され、その後、六条河原で処刑されました。この古橋は三成の母の出身地であり、三成が幼少の際は法華寺に修行したとも伝わるため、縁のあるこの古橋に逃げ延びたようです。 

岩窟の内部への入り口 (大きさ比較のため、右の写真は人物入り)
岩窟内部のもうひとつの割れ目からの光
   岩窟内部の床                  岩窟に降りる梯子(内部から)
道案内
己高庵の駐車場にある案内板          居張滝      
林道途中の分岐点(左側へ)  分岐点を越えたところの景色
登り口の標識と説明板       登り道途中に見える巨岩

近くの城・関連の城:法華寺 佐和山城 関ヶ原