近江/ 桃原城



ファイルNo2444

城というより 伝承通り牧(牧場)という感じ

              主要部内    

@ もばらじょう 
  別名 

A住所:犬上郡多賀町桃原〜杉
B目標地点:杉坂峠・多賀神社の御神木<すぎ>
C形式:山城  D比高:峠から80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀
G時代/人物:戦国期/京極氏?
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  峠より10分

J撮影・訪問時期:2010年04月
        (2021年09月)

  

道案内 

名神高速導の彦根インタを下り、国道306号線を多賀方面に進みます。5km先、久徳の信号の手前で斜め左の県道17号線に入り、「河内の風穴」を目指します。3km先の来栖で右折し橋を渡り、そのまま林道を進みます。4kmほど山道を進むと杉坂峠で、ここに多賀神社の神木のスギがあり、峠からさらに少し下って行くと今は廃村になっている杉集落です。
関ヶ原で敗れた島津氏が(島津義弘の退き陣の道)<薩摩に帰るために関ヶ原から脱出し多賀を経由し彦根の高宮へ下った道>五僧峠を越えて近江に入って杉坂峠を通ったとされます。(島津氏の退き道は諸説あります。)

訪城備忘録

峠から杉集落に向かって左手の斜面を登ります。尾根まで登りしばらく進むと浅い堀切があり、その向こう側は土塁が横たわっています。これを越えるて下ったところが主要部です。三つのピークに囲まれた谷の平坦地を土塁と堀が巡っています。三つのピークには北側は鉄塔が建っていますが他の二つに城郭的遺構は見当たりません。鉄塔のあるピークの先に堀切があるようです。(見落としました) 中心部は正に牧場のよう。木の柵の代わりに土塁が巡っているという感じです。伝承のように牧(牧場)であったように感じます。ただ、こんな山奥で、それも三方をピークに囲まれた谷部でまるで隠すようなこの空間はなんなんかな?

杉集落よりの遠望
歴史

明応四年(1495年)頃に京極政高が築き、多賀新左衛門経忠が入ったという史料があるようです。

政高(政経)という方はよっぽど山奥がお好きらしいな・・・。永源寺の黄和田城もそうだったけど、こんなとこに城?ちゅう感じです。黄和田城は最初に京極高清に敗れた頃の拠点、桃原城は二度目に破れ、これ以後は政高の名が歴史には出てこないようで、出雲に行き。尼子氏に庇護されてその地で没したと言われるようです。

後の調査で主要部からは江戸期の遺物が出たようで、この史跡は近世の遺跡であり、桃原城と同一かは定かではないようです。

  尾根の堀切と土塁          中心部を巡り土塁と堀
  北へ伸びる土塁と堀            中心部を巡る土塁
杉坂峠

県道17号線で栗栖集落で右折し橋を渡り、林道に入ります。道幅が乗用車幅の林道をクネクネのつづら道を登ります。一方が壁、一方が崖の道です。栗栖の橋から約5kmで杉坂峠です。杉坂峠を過ぎると杉集落です。今は完全に廃村です。杉集落から約7km先が保月集落です。杉集落から保月集落までは谷間が多く、わりと走りやすいです。保月集落、大変失礼ながら、まだ人が住んでいらっしゃって驚きました。こんな山の山の中、幹線道路もなく、麓までは少なくても10kmはあるような場所ですが。集落内にはりっぱな神社もありました。それでもやはり廃屋も多く、そのひとつの廃屋の蔵には「片喰」の紋があり美しかったです。保月集落から約5km先が権現谷のT字交差点です。そこを右折し約600m先で道は直線と逆V字に左折して登る道があり、ここを登ります。(直進すると国道306号線に向かうようですが) 逆Vを登り、約1.2km先が五僧峠です。 五僧峠を過ぎると三重県の時山集落まで滋賀県側に比べるといい道です。上石津町時山集落からは県道139号線です。上石津町下山で国道365号線に至ります。

※滋賀県側から五僧峠に直接向かうには県道17号線で河内の風穴まで行き、約400m先を右折し権現谷沿いに林道を進みます。約8km先がT字交差点です。(この道は走ってないので道の状態とかはわかりません。)

麓の来栖集落より(左手の山)   杉坂峠のスギ(多賀神社御神木)
林道の途中        多賀大社ご神木の碑と説明板
杉坂峠
多賀大社ご神木
杉集落(廃村)
お寺            保月集落   廃屋の蔵に「片喰」紋
途中の眺望
五僧峠
五僧峠と説明板

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