近江/ | 田上山砦 |
ファイルNo1699 |
賤ケ岳の戦い時の豊臣方本陣
@ たがみやまとりで |
道案内 ←裏手登り口 ←意富布神社登り口 | |||
北陸自動車道木之本インタを下り、木之本IC口の信号を右折し国道8号線に入り、長浜方面に進みます。国道は次の信号で右折ですが、そのまま直進し、木之本市街に入ります。400m先の木之本地蔵院前で左折します。1.4Km先、北陸自動車道のガード手前に右手へ登る道がありますので、ここを登ります。すぐに右手に墓地があり、ここの一番山側まで行きます。墓地の北側に猿田彦神社という小さな祠があります。この裏手に山への道があります。しっかりした木の階段が続いています。比高で160mほど登ると尾根に出ますので、ここから右手に進みます。 または、意富布神社(おほふら)の境内右手から登城口があります。 |
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訪城備忘録 | |||
尾根に登ると右手に進みます。幅のある尾根ですが草木が茂っています。先でいったん下る感じになります。尾根の鞍部ですが、巨大な堀切にも見えます。再び登ると北側の虎口に到達します。桝形であり、内側の虎口前には堀もあり、まさしく織田の角馬出です。ここから削平は不完全ですが広い郭が広がります。兵の駐屯地区なんでしょ。その先には土塁に囲まれた三つの郭があり、主郭と副郭です。西側尾根にも郭があり、その先端には平虎口があります。陣城ですから削平は不完全ですが、構造はまさしく織田系城郭で、玄番尾城の一部を切り取り、土塁を低くして、少し規模を小さくしたという感じで、敵味方の構造が似ているという事で、織田系の内輪もめの戦いが賤ケ岳の戦いであったと 納得できます。 |
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天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いに備えて、1ケ月で築城された豊臣方の陣城です。豊臣秀長が15000人を率い守備し、事実上の豊臣方の本陣として機能しました。<現地説明板より> |
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