近江/ | 田部山城 |
ファイルNo1698 |
@ たべやまじょう |
道案内 | |||
北陸自動車道木之本インタを下り、木之本IC口の信号を右折し国道8号線に入り、長浜方面に進みます。国道は次の信号で右折です。1.4Km先にループ状の高架があり、ここを登り、国道303号線に入ります。1Km先が田部東の信号で、この正面の山が城址です。この信号を直進するとすぐに左カーブですぐに城山トンネルがあります。信号を右折したら国道365号線で、600m先の田部の信号で左折し、田部の集会所の横の神社に入り、本殿を正面に右手に山に登る道があります。 |
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訪城備忘録 | |||
私は神社からは登りませんでした。城山トンネルの手前に山に登る階段があります。20mも登ると階段はなくなります。右手へ比高約100mほどを急な斜面ですが直登しました。尾根まで登り、右手に進んだら城跡です。城内は伐採された木や倒木、草木で遺構は見えにくい状態ですが、主郭を取り巻いている低い土塁と主郭東側尾根の外側にある堀切(竪堀)が明瞭です。主郭西側の副郭の西側虎口土塁もなんとか判ります。ここから南尾根に説明板があり、ここを下りていくと神社に到達するのだと思います。城跡の縄張りは山東町<米原市>の長比城になんとなく似ています。田部集落には田部民部小輔信頼の居館があったとされますが、集落内に痕跡はありませんでした。田部氏の詰城なんでしょうが、その後、朝倉氏が駐屯したとの事ですし、もしかしたら賤ケ岳の戦いの際にも使われ、改修されたのかもしれません。 |
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当初は浅井氏の家臣の田部氏の居城でしたが、元亀争乱の際には朝倉氏が駐屯し、その後は、丁野の中島宗左衛門も在城しました。 城の縄張りは城山頂部を主郭とし、南西に副郭を持ち、その二つの郭を低い土塁を持った廊下状の郭で連結しています。主郭は土塁に囲まれ、東西60m×南北26mの半月状の郭で、郭内中心部に不整方形の土壇状の高まりがあります。 |
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