近江/ 宇賀野氏館
+長野家



ファイルNo1297

若き山内一豊と母が匿われた長野家がある

  長野家

@ うがのしやかた 
  別名 

A住所:米原市宇賀野
     旧:坂田郡近江町宇賀野 

B目標地点:宇賀野会館 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地 

F遺構等:碑・(説明板) 
G時代/人物:室町期/宇賀野氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年03月

  
宇賀野会館

【道案内】 

北陸自動車道米原インタを下り、国道21号線を彦根方面に向かい、西円寺の信号で右折し国道8号線に入り約1.6Km先の顔戸の信号(国道8号線米原バイパスとの合流点)を左折し県道235号線に入ります。500m先が宇賀野の信号で、そこをさらに400m直進するとJR北陸線の踏切です。(左手200m先はJR坂田駅です。)踏切を越えた右手が宇賀野会館です。宇賀野会館の先の路地を右に入り300mほど先に長野家があります。踏切から400m先を右折し500mほど進んだ右手の集落側に法秀院の墓があります。(あるいは、彦根市内の松原の信号から県道2号線(湖周道路)を進み世継の信号で右折し県道235号線に入り2Km先が踏切です。)



【訪城備忘録】

宇賀野氏館は北陸本線沿いの宇賀野会館一帯にあったとされますが、今は遺構はありません。会館の西側の路地を北に進むと長野家があります。さらに長野家から北西へ600mほどのところに山内一豊の母である法秀院の墓があります。

【歴史】

宇賀野氏の居館と伝わります。宇賀野氏は京極氏六代高秀の子の高雅を祖とします。なお、高秀の父は佐々木道誉の名で婆娑羅大名として有名な京極高氏です。


長野家は、永禄二年(1559年)に岩倉織田家が織田信長に攻められ落城し、岩倉織田家の家老であった山内盛豊も討死したため、幼い山内一豊と母は流浪し、知人の紹介で永禄三年(1560年)に宇賀野長野家に匿われました。法秀院は、この後、死ぬまで宇賀野に住したと伝えられます。
  
説明碑
  
山内一豊の母の法秀院の墓
  
  

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