近江 / 虎御前山城



ファイルNo0827

小谷城攻めの際の織田方付城

                         (伝)織田信長陣所

@ とらごぜやまじょう 
  別名  −−−−−

A住所:長浜市湖北町別所〜中野町
    旧:東浅井郡湖北町別所〜虎姫町中野

B目標地点:虎御前山公園
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/織田氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中腹公園より15分

J撮影・訪問時期:1999年11月・2006年04月
            2018年04月

  
(伝)木下(豊臣)秀吉陣所

【道案内】←虎御前山公園(旧虎姫青少年キャンプ施設)側から

北陸自動車道長浜インタを下り、県道37号線を東に進みます。3Km先の国道東上坂の信号で左折し国道365号線に入ります。約7Km先で須賀谷温泉入口の標識を越えると右手に小谷城の標識があります。300m先が小谷城清水谷の入り口である郡上南の信号で、そこで左折し県道510号線に入ります。道なりに 約2Km先で「虎御前山公園」の標識のところで右折し、北陸自動車道のガードをくぐり虎姫時遊館の前を越えたら右折し 虎御前山公園に入ります。中腹まで車道がありますのでそこを登ります。中腹には以前には虎姫青少年キャンプ施設がありましたが、現在は公園です。 この辺りは、丹羽長秀、蜂屋頼隆の陣所になります。中腹から徒歩で登りになり、NTT中継局アンテナのところから入ります。 あるいは、北陸自動車道小谷城スマートインター近く県道265号線沿いからも登れます。

 


【訪城備忘録】

中腹の公園から無線中継所の大きな鉄塔まで7分程度、ここは 滝川一益の陣所が隣接しています。この城は多くの古墳群を利用していて、滝川陣所の左側奥は土塁が巡る削平地に見えますが古墳利用のようです。ここから、ハイキング道を進みます。ハイキング道の左手に郭跡のような平坦地、堀切のような窪みが各所にあり、尾根の各ピークに陣所跡があります。堀秀政の 陣所を越え、長い削平地を過ぎた次のピークが信長の本陣です。桝形状の虎口を越えて陣所に入りますが、他の陣所より切岸が高くなって鋭いです。ここより先を下りながら進みますと木下(豊臣)秀吉の陣所に至ります。ここは他の陣所より大規模で二段の削平、土塁、横堀の痕跡と城らしさが漂います。ここから小谷城本丸が正面に見えて、 まさに指呼の距離という感じでした。

2018年、十数年ぶりに再訪しました。各郭周囲が見やすくなっており、標識も増えて分かりやすくなってました。中継局に向かう道沿いに案内板があり麓の軍用道を解説していて、遠くにその道が見えます。堀陣所手前には礎石の上の建物を建てる形式が模擬展示されてます。この辺から礎石が出たんでしょう。ただ、模擬展示の礎石は別の城(生津城)で発掘された礎石を使用していると説明板に書かれてました。秀吉陣では横堀が明瞭に見えるようになってましたが、冬場なら見えるのでしょうけど、この日は正面にある小谷城が樹木の葉で見えませんでした。


【歴史】

虎御前山は別名八相山と呼ばれます。古くより古墳が点在しています。元亀三年(1570年)よりの小谷城攻略に際し、織田方が築いた付け城です。天正元年(1573年)の浅井氏滅亡(小谷城落城)まで使われたものです。ただ、秀吉陣周囲はあまりに技巧的で、賤ケ岳の戦い<天正十一年(1583年)>の際に改修された可能性もあるとのことです。


  
秀吉陣の下段郭の土塁
  
(伝)堀秀政陣所
       
堀切   堀秀政陣所手前    横堀
堀秀政陣所から     礎石模擬展示
信長陣所への南側切岸と下郭
信長陣所
信長陣所の切岸
秀吉陣所碑     秀吉陣所虎口
秀吉陣所下の郭と切岸
秀吉陣所下の郭の土塁
       秀吉陣所切岸    秀吉陣所横堀(かざし堀)
秀吉陣所下横堀(かざし堀の標識)
秀吉陣所東下横堀から竪堀
土塁  秀吉陣所北下  堀切・土塁
秀吉陣所北下土塁
柴田勝家陣所    丹羽長秀陣所
丹羽長秀陣所から虎御前山遠望
柴田勝家陣所北側下から小谷城遠望
軍用道?遠望
堀秀政陣所近くから竹生島遠望
信長陣所近くから伊吹山遠望
  
遠景

近くの城・関連の城:小谷城 丁野山城 中島城

          

現地案内板より
蜂屋頼隆陣所(北山古墳)    秀吉陣所から見る小谷城本丸