近江/ 金堂陣屋



ファイルNo0801

         稲荷神社の説明板     

@ こんどうじんや 
  別名  −−−−−

A住所:東近江市五個荘金堂町  
    旧:神崎郡五個荘町金堂
B目標地点:

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・公園・宅地

F遺構等:移築門・説明板
G時代/人物: 江戸期/本多氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  近江商人館駐車場から1分


J撮影・訪問時期:2001年06月

  

道案内  ←稲荷神社の位置

近江八幡市より国道8号線で来ると、五個荘南の信号の次の信号の北町屋で左折し、次の信号をまた右折、250m先を左折し、大城神社を目指して五箇荘市街地に入り、その先、近江商人館に駐車し、陣屋通りへ歩いて1分です。 

訪城備忘録
勝徳寺の移築門

大和郡山藩飛び地所領管理として陣屋が置かれていました。今は陣屋があったところは稲荷神社となっており、遺構はありませんが、近くの勝徳寺には長屋門が移築されています。何もないとはわかっていたので、ずっと行きませんでしたが、城には関係ないものの五箇荘町は近江商人の町、陣屋跡の周りは、てんびんの里として近江商人の邸宅などが公開されています。

五個荘商人邸宅
歴史

貞享二年(1683年)に本多忠平が大和郡山城主となった際、近江に4万石の所領が与えられました。このうち、蒲生・神崎・坂田の三郡の所領を管理するため、金堂に陣屋がおかれました。陣屋には代官1名、手台2名、書役1〜2名が常駐し郡山藩士が交代で在番し、司法、行政を司っていました。「神崎郡史稿」に収録されている陣屋の古図では、長屋門と堀に囲まれて、役所,役宅と土蔵,牢屋、稲荷社があったことが判ります。明治5年に廃止され、敷地は民家に払い下げられましたが、長屋門は西側の勝徳寺に移築されています。    < 現地案内板より >

  

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