近江 / 安土城



ファイルNo0773

天下の名城!安土城 建物は無くても その巨大さを実感できる

                               大手道石段        

@ あづちじょう 
  別名  −−−−−

A住所:近江八幡市安土町下豊浦
    旧:蒲生郡安土町

B目標地点:
C形式:平山城  D比高:100m 
E現況:山林・公園・寺

F遺構等:石垣・天守台・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/織田氏
H満足度:
凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:1990年05月〜2014年04月
             2016年01月・02月・07月
             2017年04月・08月・09月
             2018年11月

  
道案内 ←登城口・駐車場の位置(2006年9月より、入山料が必要です。)

名神高速道竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先日野川を越えた東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で右折し県道2号線(朝鮮人街道)に入ります。1.6Km先中村町の信号を越え、そこより約6Km先の左手が安土山です。
駐車場は市営(広場)と総見寺(少し高台)とふたつあります。2017年9月現在、市営も寺の駐車場も無料です。<但し、トイレは有料> 入山するには大手道入口で700円<2016年2月現在>を支払う必要があります。
訪城備忘録

なんどもなんども足を運びましたが、安土城郭調査研究所の発掘調査と復元で少しつづ変化しました。今は整備を一応終えたようです。麓から現総見寺付近までの大手道の石段はすっと天に伸びるような迫力が有ります。 整備前は総見寺の江戸時代に作られた石垣が大手道を塞いでましたし、今のような幅のある大手道は見ることはできませんでした。発掘整備されて今の形に蘇っています。この大手道は他の城郭のように折れを入れずに本当に途中までまっすぐです。これはこの大手道が天皇をお迎えするための道であったためとのことです。その分、黒金門の桝形門から二の丸付近を経て本丸までは折れが何度も入る道になっています。大手門石垣は2005年に復元されていますが、三つの平虎口門とひとつの桝形虎口門で構成されており、これは御所の門構え(平門)に武士用の門(桝形門)をひとつ加えたものだそうです。大手道両サイドには幾つもの郭がありますが、伝秀吉邸と呼ばれる郭の上段の敷地の北面側石垣や、伝武井邸と呼ばれる郭の北面の石垣はあまり積み直しもされていない当時のままの石垣のようです。また、大手道石段を含め石仏などが転用石として使われている箇所が数箇所あります。二の丸手前にある佛足石も石垣に転用されていたもののようです。

黒金門より本丸までの石垣は石が大きくなり、さらに、天守(天主)石垣付近は高石垣でいっそう迫力があります。本丸の建物は御所の建物を真似た構造になっていたという事が発掘調査でわかってきたようです。やはり天皇をお迎えするための清涼殿だったようです。天守台には穴蔵部分に天守の礎石が並び天守の大きさが想像されます。五層七重の天守と言われていますが、真の形は未だに謎のままです。想像するほうがおもしろいかもしれませんね。搦め手門から八角平・搦め手道方面へは1990年初めまでは出入りできましたが、今は本丸側からは通行止めになっています。全山城郭の安土城ですので、この搦め手側は静かに眠る安土城ということになりますでしょうか。

私のつたない文章でご説明するより一度は訪れて夢の跡を散策され迫力を実感される事をお勧めします。ご参考にこのページの下段に見所写真と案内をリンク致しました。 <追記>2006年9月より安土城は拝観料が必要になりました。(700円<2016年2月現在>) 大手道の麓に無骨な木戸と料金所が設置されました。その木戸がまた狭くて、人が二人並んで通るのがやっとの幅です。当初は500円で今は700円に値上げされました。なんかむかつくのはわしだけ?

  見所案内ページ

  
黒金門付近
歴史

日本史上で最初の本格的総石垣の城で、最初の本格的天守を持った城と言われています。天正四年(1576年)信長は丹羽長秀を奉行として安土城の築城を開始、天正七年に信長は天守に居を移します。天正十年(1582年)六月二日、本能寺の変で信長は自害し、六月十三日には信長に謀反した明智光秀は、山崎の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に破れ、敗走途中で農民に殺害されたものでありながら、翌14日に安土城は謎の炎上をしてしまいます。(織田信雄が火を放ったとか、明智残党が火をつけたとか言われているようです。)その後一部を修復し、安土城は存続したようですが、天正十三年(1585年)に羽柴秀次(豊臣秀次)が近江八幡城を築城し、安土の町を八幡に移転し安土城は廃城になりました。

安土城・追加写真へ⇒  A  B  C
 大手道
佛足石
現地案内板より
2006年02月追加写真
雪の安土城
2007年10月追加写真
大手門付近復元整備完了現状
南斜面山すそ発掘調査現場
2011年04月追加写真
蓮池側遺構と桜
東門付近の石垣                東門付近の内堀跡
百々橋側への道沿い(2007年撮影箇所の整備後)と桜
2014年04月・2016年07月撮影
大手道
伝秀吉邸石垣
大手道を伝秀吉邸側から
大手道を上から
黒金門への石段
黒金門
黒金門から二の丸方面への通路
黒金門から二の丸・本丸への通路
二の丸・本丸への通路
二の丸・本丸への通路(上から)
本丸から天守への石段
本丸の南側天守石垣
本丸の石垣
天守石段
天守台からの眺望
信長の館にある復元された天守最上階
2017年
蓮池側の石垣と桜
百々橋口の城址碑と桜
安土考古博物館側の石垣と桜
大手道の石段(10月)
本丸から天守への石段
天守への石段
総見寺三重塔
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